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ファクトフルネス黒版!この本を読んでみてわかったもっとも不愉快なことは? - 「事実 vs 本能 目を背けたいファクトにも理由がある」

事実 vs 本能 目を背けたいファクトにも理由がある

事実 vs 本能 目を背けたいファクトにも理由がある

 

 橘玲氏の新刊は「〜理由がある」シリーズ4作目。

帯のコピーは『「本能」はいつも、世界を正しく見ることを邪魔している。』

この一文を見て、似たような内容の本があったなと思う人も少なくないと思います。今年初頭に発売された『FACTFULLNESS』は、世界の状況について誰もが抱きがちな偏ったイメージや思い込みをデータを提示することで覆し、世界はみんなが思っているよりもずっとよくなっているというということを示したとして大変話題になりました。

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「事実vs本能」も、自分たちの生きている世界を正しく理解するためには思い込みではなく事実(ファクト)を知ることが不可欠であるとしている点は全く同じです。ただし、「FACTFULLNESS」ではポジティブな事実が紹介されていたのに対し、できれば知らないふりをしていたい、不都合な事実ばかりを紹介したのが本書です。その意味で「事実 vs 本能」と「FACTFULLNESS」はコインの裏表のような関係になっていると言えます。好ましいと好ましくないとに関わらず、自分が生きていく上での判断をする上で事実は事実として知っておくべきでしょう。

本書はpart0からpart5までの6章構成になっています。

part0では「もっと言ってはいけない」でも紹介された、OECD加盟国を中心に世界24ヵ国・地域で実施された国際成人力調査(PIAAC)の結果を改めて紹介しています。この調査の結果から導き出された下記の結論は衝撃的で、多くの人にとっては簡単に受け入れることが難しいものだったためか、本作でも詳細に取り上げられています。

  • 日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。
  • 日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない。
  • パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。
  • 65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。

にわかには信じがたい内容ですが、これでも他国と比較するとナンバーワンの結果なのです。OECD諸国の平均ではかんたんな文章理解や小学校低学年レベルの数的処理ができない人の割合が全体の約半数にのぼるそうです。

知識社会と言われる現代社会において十分な知的能力を持たないことは労働市場におけるスキル(職務スキル)を持たないこととほぼイコールであり、職務スキルがなければ仕事を見つけることも難しく、経済的に成功をおさめるのも難しくなるであろうことは容易に想像できます。

このPIAACの読解力と数的思考力の得点が低い国では失業率が高くなる傾向があり、そこからポピュリズムが台頭しやすいのではという仮説が紹介されていますが、ここまでは「もっと言ってはいけない」にも同様の内容が書かれています。

これに加え、本書では知識社会における高度な知的能力は高い労働生産性につながるはずなのに、PIAACで好成績の日本は決して成績が高いといえないイタリアやスペインに比べても労働生産性が低いという事実が紹介されています。PIAAC報告書で「労働者の高い能力が仕事で活かされていない」と指摘されており、日本人の働き方や社会の仕組みが間違っている可能性が高いという私たちにとって不都合な事実が明らかになりました。どこがどうおかしいのかは本書のなかで様々な例が挙げられていきます。

part1からpart4まではそれぞれ『この国で「言ってはいけない」こと』『私たちのやっかいな習性』『「日本人」しか誇るもののない人たち』『ニッポンの不思議な出来事』『右傾化とアイデンティティ』として、様々なファクトの例が紹介されています。

例えば「子どもの虐待は子どもが親のどちらかと血のつながりがない場合に起こりやすい」「いじめはなくならない」「テロの実行犯はほとんどが若い男性」といったものから、「日本の政治家と官僚の国際感覚は大丈夫か」「『働き方国会』が紛糾する"恥ずかしい"理由」「過労死自殺がなくならない単純な理由」といった日本社会の仕組みに関するものまで多種多様です。

本書を通読すると、基本的に不愉快なファクトがでてくる背景は下記2つのパターンに分かれることに気づくと思います。

  1. 私たちの社会が世界的な流れである「知識社会化・リベラル化・グローバル化」にうまく対応できていない
  2. 私たちが今持っている価値観、文化、社会制度、行動様式が、人間が進化の過程で獲得してきた(無意識の)感情と整合しない

「テロリストはほとんどが若い男性」や日本の労働環境をはじめとする社会の歪さは前者に起因するところが多く、「実子に比べ血の繋がっていない子どもを虐待しがち」や「いじめはなくならない」といったものは後者に分類されるものになります。

本書を読んでいてもっとも不愉快になるのは、このようなファクトがわかったとしても真っ向からの問題解決は(少なくとも早期には)期待できそうになく、不愉快なことがある前提でできるだけそれを避けるようにするしかないという結論になる点にほかなりません。結局のところ、「世の中にはこういう理由で不愉快な出来事が多いけれど、完全解決は期待できないのでいやいや付き合うか避けていくしかない。なぜこれが起こるのか理由がわかっているだけでもちょっとの気休めにはなるかもしれない」ということになるのかなあと思い、これこそがもっとも目を背けたい事実だなと感じています。

本書では「そんなこといったら差別になるのでは?」というほど大胆なトピックが多々扱われていますが、その内容の裏付けとなる研究や参考書籍が紹介されているので、興味のある人は裏取りをできるようになっています。「『差別』とは証拠によって合理的な説明ができないこと」という著者の姿勢のあらわれですが、本書からの一番重要な学びはこれかもしれないと思うほど大事なことだと思います。

part5はちょっと毛色が変わります。ここで取り上げられる内容は意外ではあっても不愉快ではなく、今の日本社会におけるみんなのイデオロギー的立ち位置を知れる非常に面白いパートになっています。ここではまず日本で右傾化が進んでいるのかどうか(特に若者)の調査結果を取り上げていますが、そこで明らかになったのは日本は決して右傾化しているわけではなく、むしろリベラルかが進んでいるという結果でした。今の若者を対象にした調査では、自民党を「リベラル」、共産党を「保守」とみなしているという事実も紹介されます。これは常識のように考えられていた(少なくとも私以上の世代では)「自民=保守」「共産=革新」という見方からねじれており、非常に興味深い点です。

また、膨大なヤフコメを分析し、「ネット世論」を形成しているのはどのような人たちかを調べた調査の結果も紹介されています。結果も当然のこと、エスノグラフィー(フィールドワーク)の手法を用いてウェブ空間の調査を行ったという内容そのものも十分面白く、一読の価値があります。

思想、言論の状況に関してはなんとなくの印象論で語られることが多かったのですが、このような調査によりデータをもとに正確な状況を把握できるようになりました。当然時とともに状況は変わってくるでしょうから、定期的にこういう調査を実施していくことが求められるようになっていくのではと感じました。

 

「事実 vs 本能」に収録されている内容は、「もっと言ってはいけない」「朝日ぎらい」でとりあげられたものとかぶるところがあります。それぞれ別々の作品で取り上げられたものを「本能によって見方を歪められた事実」というテーマでまとめなおしたのが本書という印象ですが、その分網羅的になっていると思います。

と、私はこのように「事実 vs 本能」を読みましたが、ここで紹介した内容が本当に正しいのかどうかはぜひご自分で本書を手にとって確認してみてください。「日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない」ですし、残念ながら私がその3分の1に含まれていない保証はないのですから。

 

朝日ぎらいの紹介はこちら

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もっと言ってはいけない (新潮新書)

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