THE戯言

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「文豪たちの悪口本」文章のプロフェッショナルの悪口、その魅力

文豪たちの悪口本

文豪たちの悪口本

 

いやあなかなか面白かった。

本書の内容はそのままずばりタイトルの通りなのですが、日本文学史に燦然と名を残す文豪達の「悪口」を紹介しています。「悪口」といっても悪口雑言の類のものから雑誌や書簡での非難、物言いといったレベルのものも収録されており、単純に面白いだけでなく興味深いといった感想を持てるのが本書に魅力になっていると思います。

本書で取り上げられている主な作家をざっとあげると、太宰治中原中也坂口安吾菊池寛夏目漱石谷崎潤一郎志賀直哉....とそうそうたるメンバー。彼らの文学的な実績は誰もが知るとおりですが、ではその文豪による「悪口」はどのようなものか。ここがなかなか差が出るところであって、やはり大作家はちがうと思わせるような表現による罵倒から、作家であっても我々とあまり変わらんなと思わせるくらいダイレクト(?)な表現まで多種多様です。

太宰はある時、バスに乗った際に有名な作家を見かけて「実にいやしいねえ。自分がよっぽど有名人だと思っているんだね」と吐き捨てる。またある時は自分が書いた肖像画のモデルから似てないと抗議を受けたのに対し「お前は、きっと先が長くないに違いない」と暴言をはく。ちなみにその肖像画はモデル本人とは似ても似つかなかったといいます。

夏目漱石正岡子規に対して「穢い奴」呼ばわり。友人である子規が冬にトイレに行く時火鉢を抱えていって、戻ったら同じ火鉢ですき焼きを食べていたということがあったことからの発言なので、これはわからなくもない。

永井荷風菊池寛を蛇蝎のごとく嫌っており、自らの日記『断腸亭日乗』にはやれ「菊池は性質野卑奸ケツ*、交を訂すべき人物にあらず」(*ケツはけものへんに橘の右側)だの「文芸商人」だの「田舎者」だとこき下ろしています。菊池寛の噂を耳にすれば日記に悪口を書くというこの行為は15年以上に渡って続いていたことがわかるから相当の執念です。だんだん世相の悪化の原因も菊池寛にあるなどど言い始めており、その憎しみの大きさには閉口するばかりです。しかもここまで嫌うようになった理由がよくわからないというおそろしさ....

志賀直哉織田作之助について放った「きたならしい」という簡潔をきわめた一言にはある種の美しささえも感じるところがあります。

ただ、ナンバーワンはやはり中原中也でしょう。

「 汚れっちまった悲しみに」で有名な詩人、中原中也は常識の破壊を掲げる「ダダイズム」に傾倒しており、言動が規格外であったことで有名です。そんな彼の悪口について、本書では下記のものが紹介されています。

何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。

初対面の太宰治に向かって

やいヘゲモニー

こういって坂口安吾に殴りかかったという。ヘゲモニーとは権力者の意。

殺すぞ

大勢で飲んでいた時、こういって中村光夫の頭をビール瓶で殴ったという。「卑怯だぞ」と非難されると、「俺は悲しい」と泣き叫んだという。狂っている。

悪口だけではなく、実際に手をあげているところが他の文豪と一線を画すところでしょう。その一線は人間として本来越えたらまずい一線である気がしますが。

哀れ太宰は尊敬していた中也に初対面から罵倒され、その後も度々口撃を受けたことに傷ついたのか「蛞蝓(なめくじ)みたいにてらてらした奴で、とてもつきあえた代物ではない」とくさしています。これはしょうがない。太宰も人のことは言えないだろという感じもしますが。

当然ながら、悪口はひとりでは生まれず、相手がいて始めて成立するものとなります。この悪口本を通して、同時代に活躍した作家と彼らの関係をうかがい知ることができるという点も本書の価値であると思います。

使用されている漢字など表記の一部がオリジナルから変更されていますが、当時の表現がほとんどそのまま掲載されているのでやや読みにくいきらいもありますが、その分文体の美しさはそのままです。

知られざる文豪の人間的魅力をこの一冊から知ることができることは間違いありません。