THE戯言

Quitters never win. Winners never quit.

超正統派ブルーバックス作品 - 科学者はなぜ神を信じるのか

ブルーバックスの書籍で、タイトルに「神」の文字が見られるのは珍しいかもしれません。著者自らも作中でやや異色の趣向かもしれないと語っているくらいですが、中身は主に宇宙論に関する科学研究の発展の歴史を辿った非常に正統派ブルーバックス作品であると言えるでしょう。

 

本書は、 コペルニクスからホーキングまでこれまでに偉大な業績をのこした科学者の研究をわかりやすく解説するとともに、それぞれの科学者が科学と神の関係についてどう考えていたかを紹介する、知的刺激に満ちた一冊になっています。主に宇宙論の研究の変遷が中心的な内容になっているのは、宇宙に関する事柄がもっとも神の存在を感じやすいものだったからでしょう。

 

科学の発展によって、天体の動きをはじめとした多くの自然現象についてその原理が解明され、合理的な説明を与えられるようになってきました。それはすなわち、昔は神の御業としてしか説明ができなかった事象がひとつずつ姿を消していったということを意味します。

 

これは、中世ヨーロッパ社会で絶大な権威を誇っていたカトリック教会にとっては自分たちの盤石の地位を脅かすものとして映ったに違いありません。その結果、ガリレオの宗教裁判の例をはじめとして、自分たちが絶対としてきた聖書の記述と合わない仮説が出てきた際にカトリック教会がその説を潰しにかかるということが繰り返し行われました。

 

世界的ベストセラーになったダン・ブラウンシリーズの『天使と悪魔』だったり『オリジン』で描かれている宗教と科学の対立構造はここに由来するものだといえます。今やそこまでの深い対立はないかもしれませんが、ガリレオ・ガリレイへ謝罪しその名誉回復を行った当時のカトリック教会の教皇ヨハネ・パウロ2世でさえもビッグバンの研究を進めることに対しては否定的であったことを考えると、規模は小さくなったにせよこの構造自体は今も残っているのかもしれません。

 

しかし、この本で紹介されているとおり、科学者の側が神を信じていなかったかというと全くそうではありませんでした。ガリレオをはじめとして、そもそもカトリックであったという科学者は少なくありません。彼らは、各々細かい理由に違いはありつつも、なぜ神はこのように宇宙を創ったのかという興味から研究を進めました。

逆に、最初は神の存在を信じていなかった科学者でさえ、研究を進めるうちに世界が非常に洗練された仕組みによって動いていることがわかり、そこから何か超越的な知性の存在を信じるようになったパターンもあります。量子力学の大家ポール・ディラックは若かりし頃は神の存在を激しく攻撃していましたが、その晩年は自然の根底に流れる物理法則の美しい数学的理論に触れ、極めて高度な知性による宇宙の構築について触れた手記を残しています。

 

国連のある調査では、過去300年において目覚ましい業績をあげた研究者300人のうち80~90%が神の存在を信じると答えたと言います。本書を読めばさもありなんと思うことでしょう。作中で紹介される科学者それぞれの研究とエピソードの数々を通じて、昔から神の奇跡をその身(頭脳)をもって体験してきたのは優れた科学者自身であったろうということを思うようになりました。

 

この本が生まれるきっかけは、トリックの助祭にして理論物理学者として素粒子論を研究している著者が高校生を相手に講演をしている時に投げかけられた「科学者なのに科学の話の中で神を持ち出すのは卑怯なのではないか」という質問だったそうです。その答えは本書を読むことで明らかになるでしょう。

今の私たちにとって、奇跡が起こるのを見るのは難しくとも、それが存在していることを見るのはそう難しくないのかもしれません。

 

蛇足ですが、本書は直接的な科学関連の事柄だけでなく歴史として面白いエピソードが多数紹介されています。例えばピタゴラスのエピソードからは、ヨーロッパにおけるリベラルアーツの科目の謎が解けたように思いました。

リベラルアーツとは、「人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本」と見なされた自由七科のことで、文系科目である「論理」「文法」「修辞(レトリック)」3科と「算術」「幾何」「天文」「音楽」の理系4科目です。

なぜ理系科目として「天文」と「音楽」が含まれているのか長年不思議だったのですが、下記のエピソードを読んで「算術」「幾何」も含めて4科目全てがピタゴラスに由来するものだとわかりました。

数学者でもあったピタゴラスは、音楽を数学で表現しようと考え、7本の弦を張ったハープに似た楽器を使って、実際にそれに成功しました。現在の音楽の基礎は彼が築いたといっても過言ではなく、弦を弾いて出す音階は「ピタゴラス音階」と呼ばれています。

ピタゴラスには音楽の他にもうひとつ、その美しさを数学で表現したいものがありました。広大な夜空に無数の星たちが輝く、宇宙です。彼は宇宙からは美しいメロディーが聞こえてくると弟子たちに説き、音楽が数学で表わせるなら、宇宙も同じように数学で表現できるはずだと考えました。

 一流の科学者の一流の教養に触れられるのもこの本の魅力であることは間違いないと思います。

 

表紙をみただけでどうしようもなく惹かれてしまった本 - ぞぞのむこ

なぜこの本がこんなに気になるのかわからない。なぜか非常に惹かれるのだけれど、その理由がうまく説明できない。

初めて見たときから妙に気になる本だった。ただ家にはまだ読んでない本が何冊も残っている。先に読むべきはそちらだろう。

そのときはそうやって何とか本屋を後にした。

しかし、やはり気になってしまった。我慢できなかった。

帯に書かれた一文に、どうしようもなく興味を惹かれてしまったのだ。

 

「この町を出たら手を洗ってください、必ず」

 

ぞぞのむこ 

普通、手を洗うという行為からは汚れを落とし、清めるということを連想する。

町を出たら必ず手を洗わないといけないということは、その町に踏み込んだら何かしらの汚れを纏うということである。そんな強烈に不吉の匂いがする町に関する物語に、なぜだか妙に引き寄せられてしまった。

この小説は、全5つのストーリーからなるホラー小説だ。各ストーリーは同じ世界線ではあるものの時間軸が若干ずれていたりと、基本的にはお互いに独立した話になっている。

仕事で漠市に立ち寄った翌日から、なぜか幸運なことが続く。夜には自宅前で昔の恋人に再会し、何か彼女の様子がおかしいと訝しげに思いつつも一緒に生活を始める会社員の話。

大学では準ミス・キャンパスに選ばれ華やかな生活を送るも、万引きがやめられない学生の話。ある日奇妙な文房具屋でハサミを盗った彼女は、後々それが漠市であったことに気づく。

大手建設会社を退職し、老人ホームで働き始めた男の話。漠市出身のカリスマ介護士に対抗心を燃やし、彼女の成功の秘密を暴き、何とか陥れたいと執念を燃やす。

漠市にあった小さな祠の賽銭箱にお金を入れてしまって以降、神様に願いと呪いを叶えてもらえるようになってしまった青年の話。

ある朝娘の姿が見えないことに気づき、娘を見つけようと奔走する母親の話。同級生に話を聞くと、娘は漠市にある「ざむざの家」に入っていったらしい...。

 

全ての話に「漠市」という共通項がある。

現実にもなんとなく不吉であまり近づきたいとは思わない場所というのものは各地に存在すると思うが、漠市もまさにそのような扱いだ。

内容は当然想像できるように、漠市にまつわるものに不用意に接触してしまった人々に起こる不条理で不気味な出来事に関するストーリーだ。

ホラーというジャンルであるものの、恐怖感というよりも嫌悪感、不快感を覚えるような話が多い。各話のタイトルを見てもらえればなんとなくどういう感じかわかってもらえるのではないか(それぞれ「じょっぷに」「だあめんかべる」「くれのに」「ざむざのいえ」)。

この物語の理不尽なグロテスクさ、本能的に感じる気持ち悪さの塩梅がよく、エンターテイメントとして楽しめる範囲内にバランスよく収められているところに著者の力量が感じられる。なんとなく吉村萬壱の作品に通じるところがあるように思え、とても楽しめた。

 

ちなみに、漠市以外にももうひとつ、どの話にも共通して出てくる要素がある。

それは矢崎という青年である。

矢崎は常に事実や正論しか言わず、いわゆる空気を読んだり人の気持ちに寄り添うようなコミュニケーションはしない(できない)。作業をするときはマニュアルに完璧に従う。そんな彼を周りの人間はロボットと呼んで煙たがっている。そんな人間として描かれている(周囲の人とのコミュニケーションについてもインターン生時代の上司が作成したマニュアルに従っているくらいなので筋金入りである)。

そんな彼は、どの話においても漠市に関わろうとする登場人物に対して、思い留まるよう助言や警告を行う。彼はなんと漠市に住んでおり、明らかにその町に対する「お作法」を心得ている人物として描かれている。とはいえ登場人物が彼の助言をはいそうですか、わかりましたといって素直に聞くようであればそもそもストーリーが成立しないので、彼の警告は常にカッサンドラの予言のように黙殺されるのだが。

この小説で漠市と関わる登場人物が次々と不気味な現象に見舞われて不幸になっていくなか、なぜ矢崎はその不吉な町で生活を続けられるのか(それどころか、矢崎は彼にとって漠市は最も住みやすい場所であると言い、就職を機に離れたこの町に再び舞い戻ってきている)。

それは矢崎には周囲への関心や未知への好奇心というものが全くないからではないだろうか。本書を読み通してみてそう感じた。周囲への干渉は最小限で、必要な時に必要なことだけを最低限行うといった生き方ができれば、妙なことに巻き込まれることもそうはないだろうと思わせる人物だった。

 

文章は平易で読みやすく、かつテンポがよく引き込まれてしまう。買ったその日に2時間ほどで一気に読み終えてしまった。暑い日に背筋が寒くなるようなぞっとする話がお好みであれば目を通してもらいたい一冊。

 

 

明らかに精神に異常をきたしているような少女の独白形式で話が進む。災害の後、みんなで助け合おうという「絆」を強調する海塚市という架空の町が舞台。本当におかしいのはなんなのか、読み進めていくうちにだんだんとその姿が見えてくる。

ボラード病 (文春文庫)

ボラード病 (文春文庫)

 

 

 いわゆるタイムスリップもの。過去の改変を行うたびにどんどん不幸になっていくのだが、あと一回、あと一回だけとどうしても過去への逆行をやめられない主人公の姿に人間の弱さが見える。

回遊人 (文芸書)

回遊人 (文芸書)

 

 

『考える障害者』を読んで障害者のことを考えた

考える障害者 (新潮新書)

考える障害者 (新潮新書)

 

著者は車イスのお笑い芸人と20年以上のキャリアを持ち、自身で訪問介護事業を運営しているホーキング青山氏。

障害者はあまりにも極端な2つの捉えられ方をしている。体には難があるけど心は綺麗な汚れなき聖人君子、しかし一方では(いまでは表に出ることはないけれど)厄介者扱い。そんな極端な捉え方ってなんかヘンなんじゃないか。このような著者の問題意識がこの本を書くきっかけになったといいます。

本書では、先天性多発性関節拘縮症のため手足に不自由があり車イス生活を送っている著者が実際に直面したおかしなコミュニケーションが多々紹介されています。

「街中で障害者を見かけたらどのように接すれば良いでしょうか?」

著者はこういう質問を健常者から受けることがよくあるといいます。私もそうでしたが、この質問を見て特に問題があるとは思わないのではないでしょうか。

しかし、著者は「こういう質問があるということ自体、その人と障害者の間にはものすごく距離があるということだし、しかもこの質問自体ははっきり言ってナンセンスだと思う」というのです。

その理由は本書で確認していただくとして、このように世間から受ける扱いに違和感を覚えることがままあると著者は感じており、それは障害者に対する理解が足りないというところに原因があると考えています。

本書は、世間の障害者に対する妙な扱いに対し「それって違うんじゃないの」という視点を投げかけるものとなり、障害者からのリアルな視点が見えるという点で非常に優れた一冊となっています。

 

ただ読み終えて思ったのは、この問題は非常に難しいということです。

本書の中に、『「どうすべきなのか」は明白、「そうしなさい」というのも明白、とはいえ現実的には難しい』ということが語られる部分があったのですが、まさに障害者に対する付き合い方、障害者を包摂した社会の作り方の問題の本質が凝縮されていると感じました。

 

障害者も同じ人間であり平等である。健常者と同様に扱うべきだ。障害者に対する理解を深めよう。

こういう考えに反対する人はいまや極めて少数派になると思います。ただし具体的にどうするかとなったときに一息に問題を全て解決できるような案はいままでもでていませんし、これからもでないでしょう。

ここには、「理解」と「実践」において超えるべき大きな壁があると感じます。

そもそも、ここでいう障害者とは誰のことを指すのでしょうか。一口に障害者と言っても様々ですし、必要なサポートも千差万別です。「障害者」と一口にくくるのは私たち全員を「日本人」とくくるくらいざっくりとした区分なのではないでしょうか。

個人的には、下記のように定義を考えてみました。

  1. マイノリティである
  2. 日常生活をおくるのに周囲の人からのある程度のサポートが恒久的に必要になる

素人定義ですので当然抜け漏れがあるとは思いますが、やはり「障害者」を定義しようとするとこのような大雑把な区分になってしまいました。実際には極めて多様な姿の「障害者」をカバーするのにはこのような定義では不十分でしょう。

このように定義すら難しいほど多様性があるため、「どこまでやれば障害者にとって住みやすい社会といえるのか」という基準の設定も極めて難しくなります。個々人に必要なサポートの種類や程度はそれぞれですし、それをどこまで社会の中に組み込むかということは現実的にコストの制約もあり明確な答えはありません。

専門の介護施設だけを見ても、現状しっかりとした専門性を持ったスタッフやそこに投入できるお金が潤沢にある状況とはいえないでしょう。

 

同じ人間として平等に扱う、そういう社会を目指すというのは理想としては全く正しいと思います。ただそれは難しい。健常者だけの世界でもあらゆる人間が自己肯定感をもてる社会を作ることが難しいことを考えれば自明でしょう。

そこに、障害者の対するサポートという点が入ってくると、コストの問題も出てきてさらに問題は複雑化していきます。この問題は一朝一夕には解決が不可能なので、これからも議論して進めていく必要があるでしょう。

 

本書でも「ではどうすればいいか」という答えはでていません。あるのはひたすらに問いかけのみです。それは仕方ないですし、それでいいと思います。障害者にとって今の社会は昔に比べればずっと住みやすくなっているはずです。未来の社会をもっと住みよくするためにはどうすればいいか、それを考え続けることが重要だと思います。

 

この本を読んでこういう意識を持ったということ自体がひとつの前進であると個人的には思いました。おすすめです。

 

 

多様性と包摂(ダイバーシティインクルージョン)について書いたエントリも紹介しておきます。

sat-1.hateblo.jp

植物に振り回される人類 - 世界史を大きく動かした植物

世界史を大きく動かした植物

世界史を大きく動かした植物

 

 小麦。イネ科コムギ属に属する一年草の植物。

世界三大穀物のひとつに数えられ、人類史のはるか昔から栽培され、世界で最も生産量の多い穀物のひとつとなっている(ちなみにあとの二つはトウモロコシと米である)。

年間生産量は約7.3億トンであり、これはトウモロコシの約10.4億トンには及ばないが、米の約7.4億トンにほぼ近い(2014年)。 (Wikipediaより)

 

2016年から2017年にかけて大ベストセラーになった『サピエンス全史』では、人類史に起こった大革命のうちの一つである農業革命を、小麦による人間の奴隷化が決定的となった(人間にとっての)史上最大の詐欺であったと指摘しました。

万物の霊長である人類がまさか植物ごときに隷属するとは夢にも思っていなかった我々にとって、これは大きな価値観の転換であったと言えるでしょう。

しかし、世界史を紐解いてみると、人類に対して大きな影響を与えた植物は小麦だけにとどまりません。実に、人類の歴史において大きな意味を持つ出来事のきっかけとして植物が登場することが少なくないのです。

例えば15世紀後期から始まった大航海時代はアジアの香辛料を目的としていましたし、アメリカでは綿花の大量生産のために奴隷をアフリカから連れてきました。これは1861年南北戦争勃発につながっていきます。19世紀にはイギリスと清国の間でアヘン戦争が発生しています。このとき清国に輸出されたアヘンはインドで栽培されたケシが原料となっており、イギリスはこのインドに棉織物を輸出しつつ清国からはチャ(紅茶)を輸入していました。いわゆる三角貿易ですが、そのうちの二辺には植物が含まれています。

このように、歴史の中には人類の営みに大きな影響を与えた植物が存在します。本書はそんな植物たちを取り上げ、それが世界史の中でどのような役割を果たしたかを様々な情報やエピソードを交えて紹介しています。

 

この本の魅力は、「はじめに」に書かれている部分に凝縮されています。

人類の影には、常に植物の姿があった。

人類は植物を栽培することによって、農耕をはじめ、その技術は文明を生み出した。植物は富を生みだし、人々は富を生み出す植物に翻弄された。人口が増えれば、大量の作物が必要となる。作物の栽培は、食糧と富を生み出し、やがては国を生み出し、そこから大国を作り出した。富を奪い合って人々は争い合い、植物は戦争の引き金にもなった。

兵士たちが戦い続けるにも食べ物がいる。植物を制したものが、世界の覇権を獲得していった。植物がなければ、人々は飢え、人々は植物を求め、植物を育てる土地を求めて彷徨った。そして、国は栄え、国は亡び、植物によって、人々は幸福になり、植物によって人々は不幸になった。

歴史は、人々の営みによって紡がれてきた。しかし、人々の営みには植物は欠くことができない。人類の歴史の影には、常に植物の存在があったのだ。

この部分をみて少しでも本書に興味をもったならば、本書を読み進めてみて後悔することは決してないでしょう。

ここで語られているように、本書では様々な形で人類史に影響を及ぼした植物が14種紹介されています。

人類の文明を支えた作物であるダイズ(黄河文明)、イネ(インダス文明長江文明)、コムギ(メソポタミア文明エジプト文明)、ジャガイモ(インカ文明)をはじめ、大航海時代と縁の深いトマトやトウガラシ、人間の富への欲望を駆り立てたコショウやチューリップ、そしてはるか昔は食糧としてアステカ文明マヤ文明を支え、いまや燃料(バイオエタノール)として人類に多大な貢献をしている「怪物」植物トウモロコシ。

なぜ「怪物」と呼ばれている理由はぜひ本書でご確認いただきたいですが、これも含めどの植物の章から読んでも非常に興味をそそられる情報やエピソードが満載です。

『中世ヨーロッパにおいてジャガイモは魔女裁判にかけられ、火あぶりの刑になったことがある』、『19世紀のアメリカにおいて、トマトは野菜か果物かということで裁判が行われた』という小ネタ的エピソードから、パリやロンドンが40万人都市だった時代に人口100万人を誇っていた江戸の街を支えた「田んぼ」というシステムと「イネ」という作物の評価など、普段当たり前に消費していたものの見方が一変するような話がこれでもかこれでもかと紹介されます。

確かに人は何かを食べなければ生きていけないので、人の歴史とは食事の歴史であるとも言えるでしょう。そして長い間人々の食事の主役であったのがなんらかの作物であることを考えると、食糧としての植物の歴史も人類の歴史と同じくらい奥深い魅力があるのも不思議ではないなと思います。そう思わせるだけの力が本書にはあると感じました。

 

著者である稲垣栄洋氏は農林水産省静岡県農林技術研究所などを経て現在は静岡大学農学部の教授を勤めています。自らを「雑草研究家」「みちくさ研究家」と称し、植物の面白さ、その魅力を伝える著作を多く出版しています。

過去にはこの著者の別の作品である『弱者の戦略』という本を読んだことがありますが、弱肉強食の自然界においてはあらゆる生物が自分がナンバーワンになれる領域を確保するためにあらゆる手段を使ってポジションを取っていくという話で、ビジネスにおいて非常に示唆の多い一冊であったことを覚えています。 

弱者の戦略 (新潮選書)

弱者の戦略 (新潮選書)

 

私たちは人類の歴史について、よく知っている。少なくとも、そう思っている。しかし、本当にそうだろうか。私たちが知っている歴史の裏側で、植物が暗躍していたとしたら、どうだろう。

新たな視点から人類史を見つめてみたい、世界史の別の側面を知りたいという方にとっては、本書はこの上ない知的刺激を与えてくれる一冊となるでしょう。

 

【就活】企業は学生からのフィードバックを自社の採用活動に生かしたほうがよい

本当は昨日読み終わった本について書こうと思っていたのですが、就活について書かれた面白いブログ記事を見つけてしまったのでそちらについて先に書こうと思います。

kuranosukessk.hatenablog.com

 

就職活動を終えたばかりの東大生であるくらのすけさんが書いた記事で、以前に著者の方が実施した<就活を経て嫌いになった企業ランキング アンケート>を集計した結果をまとめたシリーズものの記事の一つです。

就活に対して学生さんが感じているストレスがはっきりと可視化されており、非常に見応えのある内容になっています。一個人が始めたアンケートということもあり、学生さんの本音がしっかりとあらわれているというところに大きな価値を感じます。

 

上記の記事では、就活をしてみて嫌いになった企業とその理由についてフォーカスした記事になっていますが、この記事は就活生だけでなく企業にとっても目を通しておくべきものだと感じます。特に<企業別 嫌いになった理由>として著者がまとめた29ページのPDFレポートは必見です。

就活 企業を嫌いになった理由.pdf - Google ドライブ

就活生にとっては今後自分が応募すべき企業のフィルタリングに役立てることで自分の時間の有効活用や不要なストレスの軽減(あらかじめ覚悟を決めておくことで実際にストレスを感じる状況に直面してもダメージを抑えられる)に活用できますし、企業側にとっては自社の採用活動のさらなる改善に役立てられると思います。

 

どんなときに学生は企業のことを嫌いになるのか? 

くらのすけさんがまとめてくださった778にも及ぶ回答をしっかりと見ていくと、当然ながら企業が嫌われる理由には傾向が見えてきます。だいたい下記の理由が多いです。

  1. 選考におけるステップが杜撰、不手際がある
  2. 選考担当者の対応
  3. 企業文化が合わない

1については選考結果連絡が遅いもしくは全く連絡がないというのが圧倒的でした。

2については面接担当の社員の態度が悪く、学生に対するリスペクトが感じられないという叫びが多かった印象です。コンプライアンス的にアウトな内容を社員が口にしていたという内容もありましたが、正直それは論外。会社側としてはイメージを落とす要因になるので早めに改善すべき内容です。

圧迫面接という声も非常に多かったのですが、これもリスペクトの問題かと個人的には思っています。当然面接官としては学生の回答についてどんどん深堀っていくこともあると思いますが、その際にも学生に対してリスペクトのある姿勢が見られれば圧迫面接とは思われないでしょう。

当社ではあえて学生のストレス耐性を見るためにあえてストレスフルな面接を実施している、という企業も少なくないかもしれませんが、その場合は3の企業文化の問題になるでしょう。体育会系のノリを重視するといったものもこれに含まれます。もうこれについては合う合わないかなと思います。

個人的には圧迫面接を仕掛けてくるようなところに対しては下記2つの理由で即さようならを決断します。

  1. わざわざストレス耐性を見るということは、ストレスの多い働きにくい職場何だろうと思うため
  2. 面接が終わった後には顧客という立場になるかもしれない学生に対して自社のイメージを下げるようなことをする会社はちょっと思慮が浅いと感じるため

嫌いになった企業ランキングを見てみると、実際はいい会社なのになあ〜、もったいない!と感じるところもいくつかありました。いいところが学生さんにまったく伝わらず、むしろ現場でのちょっとした対応によって嫌われてしまうのは本当に残念なことです。

せっかくこのように率直なフィードバックがあるのですから、これを活かさない手はないだろうと思います。

 

就活への怒りがサイト運営会社へ向かう 

嫌いになった会社ランキングの1位、2位はリクルートマイナビと、就活で必須になるリクナビマイナビを運営する両者がワンツーフィニッシュを決めています。特にリクルートは2位に圧倒的大差をつけてのぶっちぎりの1位。

ただし嫌いになった理由としては両者の選考に対する不満というよりも就活そのものに対するストレスからの怒りが大きいです。正直まあ無理もないと思ってしまいますが。

 

この結果を見て思い出したのが、ドワンゴ会長の川上さんのこちらの主張です。

wedge.ismedia.jp

リクナビマイナビが生み出した一括エントリーの仕組みによって、ひとりの学生が50社や100社にいっぺんに応募をすることができるようになりました。(アンケートの中で、「エントリー企業がたりません!内定をもらったひとはもっとエントリーしています」的な煽りをうけたというフィードバックもありました)

学生サイドから見ると応募のハードルが下がり、メリットが大きいように思えますが、企業側から見ると大量のエントリーが届くようになり選考にかかる手間や時間が莫大になってしまいました。

結果、学歴やSPIなどテストの結果で一括フィルター(足切り)をしないととても手が回らない状況に。そして、企業側にそのソリューションを提供したのもまたリクルートリクルートの一括エントリーシステムを使っている企業はだいたいどこもリクルートのフィルターソリューションを使用しているという状況になったそうです。同じ会社がフィルターソリューションを提供しているため、そのソリューションを採用している会社の足切りラインは当然どこも同じになります。つまりある会社で足切りラインに届かなければ、他の企業でも同様に足切りされるということになります。

こうして、100社にエントリーして100社から断られるという心の折れる状況が作られてしまった、諸悪の根源は武器商人的な動きをしたリクルートだ、という話です。

 

ちなみこの話がでてから、リクナビにはドワンゴの求人掲載を断られるようになったというオチまでついたそうです。数年前の話ですが、ネットではしっかりまとめられていました。

matome.naver.jp

 学生さんの間でもこういう認識がされているのかどうかはわかりませんんが、就活の歪な構造への不満が非常に高まっているのを感じます。

 

この結果をどう活かすか? 

せっかくこのように率直なフィードバックが得られたのですから、もしランクインしてしまった企業としては積極的に活用していくべきでしょう。それによってより優秀な人材を獲得できるようになったり、学生のエンゲージメントを高められるようになるかもしれません。

これだけ就活において企業に邪険にされてストレスを抱えている企業が多いのですから、ここでの対応をしっかり行うだけで逆に好感度を上げるチャンスとなるのではないかと考えます。

選考活動と考えると企業側が選ぶという上から目線にどうしてもなってしまうというのであれば、一種のPR活動でもあるという意識を持つようにしてもいいかもしれないと個人的には思います。こちらのカゴメのケースがよい例でしょう。

togetter.com

特にBtoC企業にとっては顧客のロイヤリティが重要になるので、こういうところで差をつけることができるなら力を入れていくべきだろうと思います。

 

それにしても、今回こういう集計を実際に見てみてこの可視化による価値は大きいなと感じました。就活を通じて好きになった企業とその理由のアンケートをやってみたらすごく面白いんじゃないかと思いますね。むしろ改善のためのアイデアが見つけやすくなるのでそちらのほうが価値があるかもしれません。

こういう、各企業の選考に関するフィードバックをまとめてランキング形式にするメディアをつくったら役にたつんじゃないかなあと思ったり。

いろいろと考えさせられたブログポストでした。面白かったなあ。

 

 

 就活をテーマにした作品と言えばこちら。個人的には映画版のほうが好み。

何者

何者

 

就活にまつわる話は外から見れば結構喜劇的だったりする。エンターテイメントとしての就活ならこれが外せない。実際の就活に参考になるかどうかは保証できない...特に今の時代には

学生 島耕作 就活編(1) (イブニングKC)

学生 島耕作 就活編(1) (イブニングKC)

 

 

難易度鬼!! サイゼリヤのまちがいさがし

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 ついにこの本が世に出てしまいました。

有名イタリアンレストランチェーン、サイゼリヤプレゼンツのエンターテイメント「まちがいさがし」!

ポップな絵柄に似合わぬほどの鬼畜難易度を誇るこのまちがいさがし、軽い気持ちで挑戦したが最後、ラストひとつがどうしても見つからずモヤモヤとした気持ちで店を後にすることも少なくありません。

「まちがいが10個あるってところが間違っているに違いない」

そう口にした人も少なくないでしょう。

そんな子供も泣くレベルの難易度を誇るサイゼリヤまちがいさがしが書籍化されました!

サイゼリヤのまちがいさがし

サイゼリヤのまちがいさがし

 

すでにネットでは話題沸騰。「一生かかっても読み終わらない悪魔の本」などの声が上がっているそうです。

 

これがどのくらい難しいか、まだピンときていない(幸せな)人はこちらに挑戦してみてください。

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ちなみに私は30分粘って最後の一個がどうしてもみつかりませんでした。

書籍化されたことによる救いは、答え合わせができること。ただやはり敗北感は拭えません。

達成感を味わいたのであれば、最後まで自分の力でやり遂げるべし。

 

ひとつだけアドバイス。本屋で立ち読みしながらの挑戦はやめたほうがいいです。

 

日本企業のビジネスICT導入が全く進まない理由は、もしかしたらより根深い問題かもしれない - 平成30年版情報通信白書

数日前に永江一石さん(@Isseki3) がTwitterで紹介していた「平成30年版情報通信白書」を読んでいます。

この白書からわかることについて永江さんが連日ポストしているブログ記事の内容が素晴らしく、盛大にバズっているようです。

 

これらの記事ははっきり言って絶対に読んでおいた方がいいと思います。それくらい秀逸な記事。特にIT業界に勤めている人、これから社会人になろうとしている人にとっては現状のリアリティを知っておく上で必読といっていいと思います。そりゃバズるよねと納得するクオリティです。

どれもファクトベースで論理展開がされており、とても説得力があり勉強になります。みんな読んでみましょうで終わっても全然いいかなと思うレベルなのですが、それだとあまりにもこの記事の付加価値ゼロ感が強いので、無理やりにでも私なりの見方を付け加えてみたいと思います。

 

そもそも日本は全体的にITリテラシー高くないのでは?

深掘り!! 日本企業のビジネスICT導入が全く進まないのはなぜか」という記事では、日本企業は他の先進国と比較してICTツールの導入が遅れており、それが生産性の低さの主因になっているという問題の主な原因として、経営者の年齢が高いというということをデータを元に指摘しています。

日本における社長の年齢分布は60代以上の構成比が全体の60%近くを占めていること、そして60代を境にITリテラシーが急激に低下することをデータで示しつつ、こういう人がトップにいることでビジネスICTツールの導入が進まないのではと指摘しています。

私もこれについては全く同意見です。効率改善のためのツールの導入について、決定権がある上司がなかなかその価値を理解してくれず説得に困っている、という人たちをよく見てきているので腹落ち感もあります。

 

ただ、自分なりにこの情報白書を読んでみた結果思ったことは、そもそも日本では他の先進国に比べて全体的にITリテラシーが低いのでは?ということでした。

つまり、いま60~70代の社長たちが一斉に引退をして、若い世代に後進を譲ったとしてもそこまで大きく状況は変わらないのではないかなと思うのです。

 

日本では他国に比べてSNSが全然活用されていない(積極的に発信する人が少ない)ということが「平成30年版情報通信白書による、日本人はソーシャル全然利用してないの図とその理由」という記事で取り上げられていましたが、情報白書を読み進めていくと他にも気になるところが多々出てきます。

例えば、日本ではシェアリングサービスの認知度に関する調査で半数以上の人が「当てはまるものはない」と答えています。

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年代別に見てみると、やはり若い世代の方が上の世代よりも知っていると答える割合が大きくなる傾向にありますが、とはいえどの世代でも「知らない」と答えている人が半数を超えることが多いというのが今の実情のようです。個人の感想ですが、民泊サービスだけ妙に認知度が高いのは、Airbnbについてテレビのニュースで取り上げられることが多かったからかなと思っており、仮にそれが正だとするとそこまで深く理解している人も多くなさそうです。

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さらに、知っていると回答した人に対して実際に利用してみたことがあるかという質問に対してイエスと答えた人の割合は他国と比べて圧倒的に低いです。

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知ってはいるけれども使ったことはないという人が8割以上。SNSと同様、積極的に使用した人は少ないという結果になっています。

 

また、APIの認知・公開状況についても日本が他国に遅れを取っている状況が明らかになります。日本ではそもそもAPIについて知らないと答えている企業が半数を占めます。すでにAPI公開に取り組んでいる、もしくは計画、検討段階にある日本企業は全体の15%程度なのに対し、英国やドイツでは60%以上と、4倍ほどの開きがあります。

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さらに、APIについて認知していると回答した日本の企業でも、公開によるインパクトや課題についての理解は限られているようです。

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例えば銀行がAPIを開放することで家計簿アプリで残高を確認できるようになるなど、APIを活用することで生活の利便性が格段に向上するようなサービスが生まれる可能性があります。今後革新的なサービスが生まれると期待できそうな分野であるがゆえに、もっと理解が広がって欲しいと思います。

 

最後にクラウドサービスについての理解。クラウドという言葉は大分人口に膾炙してきた感があり、昔と比べると認知度は高まっていると思いますが、それでもなお、それを活用しようとなった場合にどんなことが課題になるかということが明確に把握できていない会社が日本には多いというのが現実のようです。

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日本における過去5年分のクラウドサービスの利用状況の変化です。2017年の時点で56.9%の企業がなんらかの形で利用しているとのこと。

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クラウドサービス導入による企業の生産性向上への効果は明白に出ています。その差は年々大きくなっているようです。

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実際に導入した企業の80%以上が効果があったと考えています。

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それでもクラウドを使用しない理由として、「必要がない」「メリットがわからない、判断できない」というものが多くの割合を占めています。試せるところから小さく始めるというかたちで進めてもいいのでは思うのですが...

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上記で見てきたシェアリングサービスは明確にイノベーションのひとつとして考えられていますし、APIクラウドはそれを活用することでさらなるイノベーションを生み出せる可能性のある技術です。このような技術に対する認知や理解が(比較的)低いという現実があるので、これを受け止め改善のためのアクションを取る必要があると思います。例えば早い段階からICTに関するリテラシーを高める教育に力をいれるというのも一つのソリューションだと考えられます。

というわけで、実は永江さんが指摘していたこちらの要因の方が日本企業にビジネスICT導入が進まない理由として大きいのではないかなあと思うのです。

しかも、このようにITリテラシーにおいて他国の後塵を拝している状況があるにも関わらず、新しく何かを学ぼうという姿勢においても他国に差をつけられています。

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こうなると差は開く一方なので、やはり公教育というか、若い頃のICT教育というのは重要なんじゃないかなあと思ってしまいますね。

ここまでをざっくりまとめると、下記のような感じでしょうか。

  • SNSやシェアリングサービスなどを積極的に使ってみようとしない(たとえ知っていたとしても)
  • APIクラウドサービスなど、企業の生産性にプラスの影響をもたらすテクノロジーへの反応も鈍い
  • そして、その状態に危機感がなく、新しいことを学ぼうとしない

...なんか残念な姿が浮き彫りになってきてしまった感がありますが、とはいえこのように問題が可視化されたという意味でもこの情報白書がもたらす価値は大きいと思います。スキルがある人や学ぼうという意識を持っている人にとってはチャンスが大きい状況とも言えます。

たとえば産業別の生産性を比較できるこの図を見ると、不動産、医療・福祉、建設、対個人サービスの分野では生産性が低下してきていることがわかります。

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ICTをうまく活用することで生産性向上の効果があることはこの白書を読めばわかることなので、このような生産性が高くない分野にICTという武器をもって参入すれば、業界にイノベーションをもたらし競合たちを出し抜くチャンスはあるかもしれません。どんどん生産性が改善していっている情報通信産業で戦うよりもチャンスは大きいのではないでしょうか。

 

以上、私なりに感じたことをまとめてみました。他にも発見があるかもしれないので引き続きこの情報白書を読み進めていきたいと思います。

平成30年版情報通信白書

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