THE戯言

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宮中の家庭の味とは? - 陛下、お味はいかがでしょう。

宮内庁大膳課天皇皇后両陛下はじめ、東宮ご一家の内廷皇族の食事を担当する専属料理人のグループです。本書はその大膳課の厨房第二係に5年間お勤めになり、昭和天皇皇后両陛下に対し毎日お食事をお出ししていた、本物の「天皇の料理番」であった著者による一冊です。

陛下、お味はいかがでしょう。: 「天皇の料理番」の絵日記

陛下、お味はいかがでしょう。: 「天皇の料理番」の絵日記

 

  

私のような下々のような人間にとっては宮中で供される食事についてはなんとなく豪華なんだろうなという漠然としたイメージがあるばかりです。しかも思い浮かぶのは海外の要人を招いた際の晩餐会など特別なイベントでの食事ばかりで、普段皇族がどのような食事を召し上がっているのかは全く想像もつきませんでした。考えてみればそもそも普段皇族の皆様はどこで食事をしているのか、またどのような人が皇族に食事をつくっているのか、どうしたら皇族専属料理人になれるのかなど全く知りません。

そんな私にとって、本書は天皇の料理人としての経験を持つ著者による、高貴な方々のお食事事情を余すところなく披露している非常に貴重な一冊となりました。

 

天皇陛下の朝食は年間通して洋食であり、献立は「トースト」「オートミールまたはコーンフレークス」「温野菜」「サラド」、そして献立には記入されない「カルグルト」が定番だったそうです。なんとなく勝手に天皇家の朝は和食だろうと思っていたのでこれは意外でした。

「サラド」はサラダ、「カルグルト」はヨーグルトのことです。フランス語の発音に近い表記にするとか、牛乳を「乳酪」、カリフラワーを「花野菜」と表記するなど、大膳課独特の表記や呼び方があったそうです。パンを「麺麭(めんぽう)」、もやしを「ヒモ」と呼ぶなどの独特のお作法には著者も苦労したそうです。

 

この他にも、お正月の昼食にはフレンチのワンプレートランチがお決まりになっている(天皇陛下は元日、正装をされていることと午後も祝賀の儀などのイベントが目白押しで昼食をゆっくり召し上がる時間がないため)であるとか、宮中晩餐会では基本的にフランス料理が供されるなど、皇族の料理に関する慣習が次々に紹介されており、ページをめくる手が止まりません。

 

都道府県から献上品として届く(現在は宮内庁の方針として受け入れていない様子)大量の旬の食材をどうさばくかと悩むシーンは、皇族の料理人ならではの悩みでしょう。数日間、昼夜ずっと松茸が出続ける様子はなんとも贅沢のように思えますが、料理する方食べる方ともに過ぎたるはなお及ばざるがごとしの心境だったに違いありません。ちなみに宮中晩餐会でフランス料理が出されるのが一般的なのは、国賓を迎える料理はフランス料理という世界共通の認識があるからだそうです。

 

宮中晩餐会では多くの参加者がおり、200名分の料理を作らなければならないこともあります。そのため厨房は広く、フットサルコートくらいの大きさがあるそうです。天井も高く、学校の体育館をそのまま厨房にした感じといいますからかなりの広さです。ふだん天皇家のお食事を用意するぶんには十分すぎる広さだったというのも当然でしょう。

 

ここで料理を担当していた宮内庁大膳課ですが、全体としては50人が在籍している部署で、主に調理を担当するのが厨房第一係(和食担当)、厨房第二係(洋食担当)、厨房第三係(和菓子担当)、厨房第四係(製パン担当)、厨房第五係(東宮御所担当)の5つのグループで、その他配膳・食器係や事務方としての庶務、経理担当という構成になっているそうです。料理人のことを「厨司」、配膳や事務方担当を「主膳」と読んでいたそうです。著者は第二係だったので、洋食を担当していたことになります。

 

宮内庁大膳課で働くと、官職名は総理府技官、肩書きは「宮内庁管理部大膳課厨司」となり、国家公務員扱いとなるそうです。一般募集はしておらず、欠員が出た場合に宮内庁職員や内部関係者の推薦によって補充するというので極めて狭き門であると言えるでしょう。宮内庁に対し何のコネもない普通の人にとっては厳しいんじゃないかと思います。

 

この謎に包まれた職場で一緒に働く人々の描写も本書の魅力のひとつです。本来「揚げ玉」を指す「タヌキ」を本物のタヌキのことと思い築地で仕入れようとした新人中華料理人、偽物の蛇口でイタズラに興じる女官と料理人(最終的に、期せずして天皇陛下までそのイタズラにひっかかったそう)、天皇陛下に出された魚料理に骨を残すと著者のミスを受けて、仕入先に「おたくの魚には骨がある、どうなってるんだ!?」と電話をいれる主厨長…。規律が求められる職場でありながらもこういうユーモラスなエピソードがしばしば登場してくるそのギャップが非常に面白い。著者がここで働いていたことがどれだけ好きだったかが伝わってくるようです。

 

そして、天皇皇后両陛下に関するエピソード。間近にいる人々しか知りえない貴重なお話の数々からは、お二人の暖かいお人柄がかいまみえます。また天皇陛下のお仕事についても紹介されており、それがいかにハードであるか、その激務をこなす陛下を支えるために料理人がどのように心を砕いているかというところは見所のひとつでしょう。

 

 著者は学習院高等部を卒業後、洋食の名門小川軒へ勤務。その後、大正天皇昭和天皇に奉仕した天皇陛下の料理番、秋山徳蔵氏の引退表明記事を新聞で読んだことがきっかけで自身も宮内庁大膳課を志望するようになります。お父上の伝で面接を受けて、無事に厨司としてのキャリアをスタートさせました。現在は、江古田で『ビストロ サンジャック』というお店のオーナー・シェフを勤められているそうです。

  

本書の第3章では、著者がそのキャリアの中で学んだことを紹介してくれるのですが、なるほど、プロはそういうところをみているのかと思わせるような内容ばかり。

小川軒の教えはいくつかありました。まずはこれ。

「店のセンスを知るには、オードブル」

そして、

「その店の『格』を知りたかったら、スープを飲め」

スープはポタージュではなく、どのように出汁をとっているかがわかるコンソメスープでした。続いてはこれ。

「店の『技術』を見たかったら、肉と魚を食べてみろ」

自分でこれらの教えを実践してみたところでどこまで参考になるかはわかりませんが、プロの目線を知っておくだけでもなんとなく「通」になったような気がします。

 

巻末には天皇家の食卓を再現できるよう、著者が実際に天皇ご一家に作っていた料理のレシピもついています。しかも著者の手による図解つき。これがまたなんともいえない温かみを加えています。本書を読んだ後はこの料理にトライしてみて、雰囲気だけでも皇族の気分を味わってみてはいかがでしょうか。

 

宮中の普段食というトピックだけでも十分面白いうえ、そこで働く人々の人間模様、天皇家の方々とのふれあい、宮中で行われる行事など普段知りえない内容が盛りだくさんの本書。

語り口も柔らかくユーモラスでとても面白い一冊でした。

天皇の料理番 (集英社文庫)

天皇の料理番 (集英社文庫)