THE戯言

Quitters never win. Winners never quit.

現代のバベルの塔は幸福な即興によって作られている - バベる! 自力でビルを建てる男

東京都港区三田。JR田町駅西口方面へ出てまっすぐ進み、歩道橋を渡りその先の階段を降りて左へ。突き当たりの大通りにある三田3丁目の交差点をまっすぐに突っ切り、ドトールコーヒーがある分かれ道を左に曲がる。そのまましばらく進むと、やがて聖坂という坂に差し掛かる。その坂の中腹に差し掛かるところで、なにやら異様な建物が姿を表してくる。

周囲にあるアパートやその他の建物とは明らかに調和がとれていない。壁はコンクリそのものだし、建物のてっぺんからは鉄筋がいくつも飛び出している。

一般的な建物の構成要素である直線はあまり見られない。外壁がギザギザに飛び出していたり、ボコボコの紋様のようなものがあったり。はっきり言って普通ではない。こんな建物は見たことがない。

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この建物は個人による完全なセルフビルドだそう。つまり、ひとりだけでこの建物を作っているという。そんなものは聞いたこともない。

 

見たこともなく聞いたこともないようなこの建物の名は「蟻鱒鳶ル (ありますとんびる)」。このビルをひとりで建てているのが岡啓輔という男。そんな不思議な建物と人物について、「バベる!」という本を読んで初めて知りました。

 

「バベる!」は蟻鱒鳶ルはどのように作られているのか、なぜ自力でビルを建設するという途方もないことに取り組んでいるのか、そこにはどのような経緯があったのかについて岡さん自身が書いた本です。

この本を読んでいる間ずっと感じるのは、異常とも思えるほどの岡さんの建築に対する愛情です。建築が好きという気持ちが行間から伝わってくると感じるほどです。いま自分が何が好きなのか、何に熱中できるのかを探しているような人がいたとしたら、この本を読むことで何かパワーをもらえるかもしれません。

この本は全部で十章からなっています。

第一章と第二章は蟻鱒鳶ルの建設に関わる内容で、土地の購入、コンクリートや鉄筋などの建築資材の仕入れや準備、そして実際にコンクリートを打つところなどがつまびらかに、かつ素人でもわかりやすく紹介されています。どうやって建物が作られていくのか全く知識がない私にとってもわかりやすく、読んでいてワクワクする部分です。

第二章が丸々コンクリートについて割かれており、岡さんのコンクリに対する考えの強さ、また愛情の深さが伝わってきます。こんなことをしたらコンクリの表面がツルツルになったとか、一回に打ち継ぐコンクリの背丈は70cmがちょうどいいとか、本当に楽しんでビルを作っているのが感じられます。

一方、岡さんの強い問題意識も感じる部分もありました。

一般的な鉄筋コンクリート建築の耐用年数は大体50年くらいですが、蟻鱒鳶ルは200年以上もつそうです。この強度の差の秘密はコンクリートを作る際に入れる水の量にあります。通常はセメント対水の割合が60%ほどですが、蟻鱒鳶ルでは37%程度。水が少ないほどコンクリートの強度は高まるそうです。いまの建築に使うコンクリートには余分な水分が含まれており、それが建物の寿命に様々な形で悪影響をおよぼしていると岡さんは強く警鐘を鳴らしています。

 

第三章から第七章 までは岡さんのバックグラウンドについてです。

生まれつき心臓に病気があり、さらに色弱を持っていたことから芸術家や大工の夢を早々に諦めざるを得なかった岡少年はお母さんの勧めで建築家という仕事を知ります。その後、建築の魅力にとりつかれた有明高専の建築科の話、限りある命を思う存分使い切るために1年8ヶ月でやめた会社の話、建築をめぐり、日本中を自転車で旅した話、突然の「建築禁止令」を出され、その間に踊りと出会い後の岡さんの建築哲学となる「即興の建築」を生み出すきっかけとなった高山建築学校の話など、いまの岡さんを形作る諸々のストーリーが紹介されています。そのどれもが濃く、建築愛に溢れています。

自転車による建築巡礼の旅の最中に岡さんが書いたスケッチが本作中で確認できますが、とても精緻なスケッチです。本当に細かいところまでしっかりと書かれています。このスケッチからもどれだけの建築愛があるかということが伝わってくるようです。

 

八章から終章までは蟻鱒鳶ルの建設に直接つながってくる諸々のエピソードが紹介されています。奥さんの「わたしたちが住む家つくって」という何気ない一言。建築家石山修武のワークショップで披露した「<即興>の建築」というアイデア。それに「作り手がこころから楽しんで作った美しい建築」である「沢田マンション」と、アメリカ西海岸での「貧しい建築」との出会いが加わり、岡さんが「つくる悦び」を表現する場としての蟻鱒鳶ルに収束していきます。ここの話の流れがキレイで、個人的に読んでいてもっともワクワクした部分でもあります。

 

全体的に、建築の材料の話やら歴史の話、過去に自分の考えがどう変遷していったかについて非常に細かく語られています。よくこんな細かいことまで、と思うのですが、自分が本当に好きなら話しても話し足りないだろうなとも思います。それだけの熱意や愛情が行間から伝わって来るような気がするのです。この本はポジティブなパワーに溢れているので、疲れた時やなんとなく元気が出ない時に読んでみるといいと思います。

 

石山ワークショップでのプレゼンの際に岡さんが添えた一言、「何かの完成である。と同時に、次への舞台である」。これこそ「<即興>の建築」の要となるコンセプトと言えるが、これがなかなか味わい深いのです。 

形ができあがった悦びをエネルギーに変え、それをイメージの源泉に、建築の次なる部分をつくり上げる。ひとつの床や壁をつくった悦びを土台に、その上に建築を即興的に積み重ねていく。踊る悦びで踊りが自動生成されるように、建築をつくる悦びで建築が自動生成される。つくる悦びを原動力に、つくる現場で建築を産み落としていく。 

ここでは建築についての話になっていますが、こういう風に生きられたら人生が相当楽しいのではないかなと思いました。日々何か悦びを得て、それを土台に次の悦びにつながることをしていく。「建築=人生」のようになっている岡さんはこれを実践しているのだと思い、だからこそ全然知らない人から嫌がらせされるほど幸せそうに見えるのだろうと感じます。

 

最後に、蟻鱒鳶ルの名前の由来。

 

まず、「あります」という肯定的な響きのあとに、「シェラトン」とか「ヒルトン」とか繁盛しているホテルにあやかって「トン」という音を加え「ありますトン」へ。

その後動物の漢字をつけたいということで「あり」を「蟻」に、「ます」を「鱒」に。つぎは「トン」ではなく「とんび」までを「鳶」として、残りの「ル」は人間代表として建築家のル・コルビジェの「ル」とした(これは言われないとわからない)。

「蟻」「鱒」「鳶」で陸・海・空すべてをカバーしたこの建物が表現しているのはまさに世界そのものだといいます。なんともスケールの大きな話です。

 

こういう面白い人が東京にいるというのは個人的に刺激になりますし、なんとなく嬉しい気持ちになります。先日、シンガポールオフィスに異動した同僚が日本に一時帰国したので食事に行ってのですが、そこでシンガポールは役所から銀行から仕事が早い、日本よりも圧倒的に税金が安い、家政婦を雇うのが珍しくなく家事の手間も減らせるなどなどシンガポールに住むメリットをこれでもかというほど聞かされ、正直ちょっと心が動きました。そんな時にこの本を読み、「そうそう、東京にはこういう人がいるんだよ!こんなに面白いものに出会う機会はちょっと他ではないだろう」となぜだかちょっと嬉しい気持ちになりました。

 

そんな気持ちにさせてくれたこの本に対する愛着は大きいです。読み終わったあと、なんとなく自分も頑張ろうと思わせてくれる、そんな本でした。おすすめです。

  

 

岡さんの話は新井英樹がマンガにしています。さくっと内容触れたい場合にはこちらがおすすめ。カバーが蟻鱒鳶ルです!