THE戯言

Quitters never win. Winners never quit.

あの戦争はどのように始まったか。終戦の日に思う - 朝、目覚めると、戦争が始まっていました

朝、目覚めると、戦争が始まっていました

朝、目覚めると、戦争が始まっていました

 

1941年12月8日早朝、日本がアメリカ、イギリスに宣戦布告し、そのまま戦闘状態へ。ここに太平洋戦争の火蓋が切られました。

本書は、当時の知識人、著名人が太平洋戦争の開戦日をどういう気持ちで迎えたのか、それぞれの自伝や日記、回顧録からまとめたものになります。作家、ジャーナリストを始め、思想家や政治家など著名な55名が日米開戦の一報をどのような気持ちで受け止めたのかを知れる一冊になっています。

今日8月15日は終戦記念日。メディアでは必ず追悼番組や特番が組まれます。私たちが戦争のことについて触れる際には、だいたい終戦や敗戦といった文脈で、戦争の悲惨さを伝えられることが多いように思います。

それに比べて、開戦の時はどのような空気だったのかを知る機会はあまりに少ないように感じます。本書は、開戦当時の日本の空気感を伝える貴重な一冊と言えるのではないかと思っています。

 

この本を読み進めていて意外に思ったのは、アメリカとの戦争が始まったことを伝えるニュースに対してポジティブな反応を示した人が多いことです。

ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした。

吉本隆明 

 いよいよはじまつたかと思つた。何故か體ががくがく慄へた。ばんざあいと大聲で叫びながら駆け出したいやうな衝動も受けた。

新美南吉

 宣戦のみことのりの降ったをりの感激、せめてまう十年若くて、うけたまはらなかったことの、くちをしいほど、心をどりを覺えた。

ー 折口信夫

岡本太郎を始め、松岡洋右など、開戦に対して無念の意を表明した人たちもいないではないですが、その数は数えるばかりです。

あまりにもポジティブ派が多いように感じたので、受け取り方ごとにポジティブ派、中立派(特に感情表明をしていない人たち)、ネガティブ派と3タイプに分けて集計してみたところ、55名中ポジティブ派が26名、中立派21名、ネガティブ派8名という結果になりました。

当然この55名で日本全国民を代表できる訳もないのですが、それにしても開戦のニュースを喜びをもって迎えた人が多いことに驚きました。

ただ、これ以前の日本の戦争の歴史を鑑みると、日清戦争日露戦争第一次世界大戦と、戦果をあげてきた実績があります。第一次世界対戦の際には、大正バブルと呼ばれるほどの好景気を経験し、このときに富を手にした(戦争成金と呼ばれる)人たちも多くありました。それまでに本土が決戦圏になった経験もなければ、市井の人々は直接戦地に赴いたことがない限り戦争はどこか他人事のようなところがあったのかもしれません。

本書のラストには太宰治による短編小説がおさめられています。一般家庭の主婦の日記という体裁で、開戦の日に一般市民はどのような一日を送ったのかということが書かれています。実際に太宰が観察した様子がもとになっていると思いますが、そこからは戦争という大きな変化に高揚しながらも、食事の準備や買い物をこなし小さい我が子の面倒をみるというある種のんきとも思える姿が見えます。多くの人にとって、まだ当時は日常の延長という感じだったのでしょう。古川ロッパの日記をみても同じ空気が感じられます。

十一時起こされる。起しに来た女房が「いよいよ始まりましたよ。」と言ふ。日米ついに開戦。風呂へ入る、ラヂオが盛に軍歌を放送してゐる。・・・・・・

それから三時迄待たされ、三時から支度して、芝居小屋のセットへ入ったら、暫くして中止となる、ナンだい全く。

古川ロッパ 

 

すでに結果を知っている現在から振りかえって、当時の人たちの楽観的な様子を批判することはフェアではありません。誰にとっても未来を予測することは難しいです。そんななか、日米の実力を正確に把握し、今から見ればこの上なく正しい予測をしていた人がいることに驚きます。

今朝はハワイを奇襲した筈だ。僕の在任中山本五十六君を呼んで、日米戦についての意見を叩いたところ、彼は初めの一年はどうにか保ちこたえられるが、二年目からは全然勝算はない。故に軍人としては廟議一決し宣戦の大命降れば、ただ最善を尽くして御奉公するのみで、湊川出陣と同じだ、といつておつたが、山本君の気持としては緒戦に最大の勝利を挙げ、その後は政府の外交手腕発揮に待つというのが心底らしかった。それで山本君はそれとなくハワイ奇襲を仄めかしていたんですョ。

近衛文麿

 本朝刊ヲ見テ日米衝突ノ避ケ難キヲ感じ居リシ折柄、平井、古沢九時号外ヲ携エテ来訪、イヨイヨ開戦トナリシコトヲ知ル。来ルベキモノガ来リシマデニテ別二驚クコトナキモ、真二最后ノ階段に近ツキツゝアリ。予ハ予テ申シ居ル通リ最初ハ勿論勝利ヲ得レドモ終局ノ見エザルコトガ最大ノ癌ナリ。

ー真崎甚三郎

山本五十六も真崎甚三郎も軍人。軍部にも彼我の実力差を正確に見極められていた人たちが存在していたことは幸いですが、残念極まりないことに、彼らの不安は的中してしまうことになります。

 

受け止め方は人それぞれちょっとずつ違いがありますが、やはり多くの人がこの開戦のラジオ放送を聞き特別な思いを抱いたようです。「それまでの自分とは全く変わった」、「世界は一新された」、「単調な生活を打ち破って、輝かしい光が突き透った感じだった」....意識的にせよそうでないにせよ、皆この日が歴史の大きな変換点となるということを感じたということが本著から伝わってきます。そして、結果的にその感覚はは正しかったのです。この戦争は日本にとって紛れもない歴史の転換点となりました。

 

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び...」で有名な、終戦を伝える玉音放送については知っていても、開戦を伝える放送を知っている人は少ないのではないでしょうか。「臨時ニュースを申し上げます」を三回繰り返して始まった、開戦を伝える朝7時のニュースを始めとして12月8日に放送されたラジオニュースの原稿も本書には掲載されています。日本の進軍と戦果を伝えるこの日のニュースを人々はどのように聞いていたのでしょうか。

 

あまりにも当然のことですが、終戦日があるということは必ず開戦日も存在します。これまであまりスポットライトが当たっていなかった開戦当時の市井の様子が感じられる本著は、先の大戦を新しい角度から理解するためには非常にいい一冊だろうと思います。

 

 

 

開戦時についての一冊を読んだ後はやはり終戦後の一冊も。厳しい環境を生き抜く人間のむせかえるようなエネルギーがいやというほど伝わってきます。

戦後ゼロ年 東京ブラックホール

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