THE戯言

Quitters never win. Winners never quit.

シリコンバレーサバイバルガイド - サルたちの狂宴

サルたちの狂宴 上 ーーシリコンバレー修業篇

 

 

原題は『CHAOS MONKEYS Obscene Fortune and Random Failure in Silicon Valley』(カオスモンキー)。

ゴールドマン・サックスの高級に別れを告げ、シリコンバレーウェブ広告企業アドケミーに転じたもと久遠つのアントニオ。そこは、既存のあらゆる産業をなぎ倒すIT業界のサルたち(=カオスモンキー)が跋扈するジャングルだった。

本書の表紙カバーそで部分にあるこの本の概要を見て面白そうだと思ったのであれば、本書を一読することを強くオススメします。

 

本書は上下巻の2部構成になっており、上巻はゴールドマン・サックスクオンツとして働いていた著者がウェブ広告を手がけるスタートアップ、アドケミーに転職し、やがてYコンビネーターと呼ばれるスタートアップの登竜門を通じて自分たちで会社を起こし、最終的には会社を売却してフェイスブックに入社するところまでのストーリーが語られています。

 

この本の魅力は、本書の中のこの一文に凝縮されていると感じます。

天の救いを得る最上の方法は、地獄への道のりを知った上でそれを避けることだ、と聖アウグスティンは考えた。これを読んでいるみなさんには、僕が示すさまざまな地獄への道をよく吟味し、回避してもらえればと思う。

この言葉の通り、本書にはシリコンバレーで活躍するうえで直面するあらゆるできごとについて非常に具体的に紹介されています。Yコンビネーターでのプレゼン、VCやエンジェル投資家との面接、退職した会社に訴えられたこと、資金調達時のオプション、会社を売却する際の利益を最大化する方法から、シリコンバレーの美味しいカフェについてまで。

 

また、成功しているビジネスパーソンである著者の経験を通じて得られた洞察も参考になるものが多いと思います。失敗するスタートアップに共通する点、沈みゆく会社に見られる兆候、大成功した会社の創業者の素質などなど。多くの具体的事例をもって、シリコンバレーで働くということはどういうことかが浮き彫りになってきます。将来自分もシリコンバレーで働きたいと思っている人は事前の(心の)準備として読んでおくといいでしょう。本で読むのと実際では大きく違うとは思いますが、一例として著者の経験と追体験しておくことで学べることは少なくないのではと思います。

 

具体的な事例として、もし二社から転職のオファーがきた時にとるべき作戦として著者が紹介しているものを見てみましょう。

 

その二社と並行して交渉を進める。その時それぞれ交渉内容が影響しないように注意する。本命でない1社の条件を多額の前金がもらえるようなものに設定し、入社直後に利益が得られるような形にする。そして実際に入社後1日で辞め、大金をもらってから本命の会社に移る。うまく騙された会社は、自分たちがいいように扱われた気まずさから訴えることまではしない。

 

フェアプレー精神というものはないのかと思わざるをえないようなえげつない行為に私には見えるのですが、実際に著者がこの作戦を取らなかった(取れなかった)ことが『シリコンバレーにおけるちょっとした不可解な事件として、取材したITメディアはとまどった』ということなので、シリコンバレーではごく当たり前のことなのでしょう。

道義心というものが薄汚れたITの世界にも存在するとすれば、かように高くつく趣味にほかならない。

最終的にこう言い切ってしまえるくらいには、著者自身も海千山千の猛者どもが生き馬の目を抜くようなシリコンバレーの環境への適性が備わっていると感じます。

 

自分が同じ立場であれば、こんなことは恥ずかしくてできないだろうと考えてしまう甘い人間である自分は、決してこの地で成功することはなさそうだなと思い知らされた瞬間です。

 

カオスモンキーというタイトルですが、本書を読む前には成功を掴もうと血走った目でシリコンバレーを縦横無尽に駆け巡る起業家や投資家たちのことを揶揄しているものかと思っていました。実際そういう面もあるとは思いますが、実在するソフトウェアに同じ名前をもつものがあるそうです。

 

カオスモンキーはネットフリックスが開発し、オープンソースで公開したソフトウェアで、うろダクトやウェブサイトが任意のサーバー障害(アドブロックのブログに起きたみたいなトラブル)にあったときに回復できるかテストするためのツールだ。

カオスモンキーの役割と名前を理解するために、次のような場面を思い描いてみてほしい。一匹のチンパンジーがデータセンターで大暴れしている。空調の利いた倉庫みたいな場所にぴかぴか点滅する端末が並んでいて、グーグルからフェイスブックまでありとあらゆるホストコンピューターがそろっている。チンパンジーはケーブルを引っこ抜いたり端末を投げつけたり、とにかくめちゃくちゃにする。ソフトウェアの「カオスモンキー」もバーチャルな世界で同じように暴れ、システムやプロセスを手当たり次第シャットダウンする。モンキーが引き起こす破壊行為というシステム障害に、フェイスブックのメッセージ機能だのグーグルのGメールだのスタートアップのブログだのといったサービスが持ちこたえられるかを見るのが目的だ。

象徴的に言えば、テクノロジー系の企業は社会にとってのカオスモンキーだ。うーバーならタクシーの営業許可、エアビーアンドビーなら従来のホテル業界、ティンダーなら出会いのスタイルという、どれも既成概念のケーブルを引っこ抜く行為にあたる。ベンチャー企業が大胆な発想で生み出したにわかづくりのソフトに、既存の業界がつぎつぎになぎ倒されていく。

 

下巻目次をみると、次の部のタイトルが「すばやく動いて物事を破壊せよ」。モンキーたちがさらにはちゃめちゃに動いていくことが期待できそうです。読み進めるのが楽しみです。

 

最後に、直接本の内容に大きく関わることではないのですが印象に残ったことがひとつ。それは著者の教養です。本書を読むと、歴史的なエピソードや文学作品からの引用が多いことに気づきます。

 

聖書からの引用やキリスト教関連の表現が多いのは著者がカトリック系の学校に通っていたことが要因かと思いますし、母親が図書館司書だったという背景があるとはいえ、2011年のシリコンバレーにおける企業同士の秘密保持契約の締結を、16~19世紀のユーラシア大陸の複雑な政治事情、外交情勢を例として語れるものでしょうか。カート・ヴォガネットやサマセット・モームから一節を引きつつビジネスを語るというところばど、著者の持つ教養の深さを端々に感じます。

 

この本に限らず海外の著者の作品ではこのように文学作品からの引用や、美術、歴史に関するエピソードが紹介されることが多いなと感じており、世界で一流とされる人間は自分たちの専門分野だけでなく、いわゆるリベラルアーツと呼ばれるものもしっかりと身につけているのだなと思います。

 

Youtubeではこの本について実際に著者が語っている動画がアップされています。1時間を超える長さでまだ私も見れていないのですが、備忘として紹介しておきます。

 

<7/13 追記>

下巻も読みましたが、上巻とはちょっとテイストが変わります。

サブタイトルに「フェイスブック乱闘編」とあるとおり、著者がフェイスブック広告のターゲティングメニューのプロダクトマネージャとして奮闘していた日々がメインのトピックになっています。

担当していたプロダクトの説明をするために、オンライン広告の仕組みやオンラインでの活動とオフライン(現実世界)での購買行動データの統合などちょっと専門的な内容も紹介されます。このあたりは業界の人であれば興味深い部分であるかもしれません。

特にフェイスブックIPOする前までのフェイスブック広告のターゲティング精度の正確さや企業ページへの「いいね!」やフォロワーの数が実際どれほどの意味を持っていたのかを率直に語る部分などは注目です。

 

上巻に続き、皮肉に満ちたユーモアのセンスは健在で、物語として面白いという本著の特徴は失われていませんので、もちろん業界外の方も読んで楽しい一冊になると思います。