THE戯言

Quitters never win. Winners never quit.

ファクトフルネス黒版!この本を読んでみてわかったもっとも不愉快なことは? - 「事実 vs 本能 目を背けたいファクトにも理由がある」

事実 vs 本能 目を背けたいファクトにも理由がある

事実 vs 本能 目を背けたいファクトにも理由がある

 

 橘玲氏の新刊は「〜理由がある」シリーズ4作目。

帯のコピーは『「本能」はいつも、世界を正しく見ることを邪魔している。』

この一文を見て、似たような内容の本があったなと思う人も少なくないと思います。今年初頭に発売された『FACTFULLNESS』は、世界の状況について誰もが抱きがちな偏ったイメージや思い込みをデータを提示することで覆し、世界はみんなが思っているよりもずっとよくなっているというということを示したとして大変話題になりました。

sat-1.hateblo.jp

「事実vs本能」も、自分たちの生きている世界を正しく理解するためには思い込みではなく事実(ファクト)を知ることが不可欠であるとしている点は全く同じです。ただし、「FACTFULLNESS」ではポジティブな事実が紹介されていたのに対し、できれば知らないふりをしていたい、不都合な事実ばかりを紹介したのが本書です。その意味で「事実 vs 本能」と「FACTFULLNESS」はコインの裏表のような関係になっていると言えます。好ましいと好ましくないとに関わらず、自分が生きていく上での判断をする上で事実は事実として知っておくべきでしょう。

本書はpart0からpart5までの6章構成になっています。

part0では「もっと言ってはいけない」でも紹介された、OECD加盟国を中心に世界24ヵ国・地域で実施された国際成人力調査(PIAAC)の結果を改めて紹介しています。この調査の結果から導き出された下記の結論は衝撃的で、多くの人にとっては簡単に受け入れることが難しいものだったためか、本作でも詳細に取り上げられています。

  • 日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。
  • 日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない。
  • パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。
  • 65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。

にわかには信じがたい内容ですが、これでも他国と比較するとナンバーワンの結果なのです。OECD諸国の平均ではかんたんな文章理解や小学校低学年レベルの数的処理ができない人の割合が全体の約半数にのぼるそうです。

知識社会と言われる現代社会において十分な知的能力を持たないことは労働市場におけるスキル(職務スキル)を持たないこととほぼイコールであり、職務スキルがなければ仕事を見つけることも難しく、経済的に成功をおさめるのも難しくなるであろうことは容易に想像できます。

このPIAACの読解力と数的思考力の得点が低い国では失業率が高くなる傾向があり、そこからポピュリズムが台頭しやすいのではという仮説が紹介されていますが、ここまでは「もっと言ってはいけない」にも同様の内容が書かれています。

これに加え、本書では知識社会における高度な知的能力は高い労働生産性につながるはずなのに、PIAACで好成績の日本は決して成績が高いといえないイタリアやスペインに比べても労働生産性が低いという事実が紹介されています。PIAAC報告書で「労働者の高い能力が仕事で活かされていない」と指摘されており、日本人の働き方や社会の仕組みが間違っている可能性が高いという私たちにとって不都合な事実が明らかになりました。どこがどうおかしいのかは本書のなかで様々な例が挙げられていきます。

part1からpart4まではそれぞれ『この国で「言ってはいけない」こと』『私たちのやっかいな習性』『「日本人」しか誇るもののない人たち』『ニッポンの不思議な出来事』『右傾化とアイデンティティ』として、様々なファクトの例が紹介されています。

例えば「子どもの虐待は子どもが親のどちらかと血のつながりがない場合に起こりやすい」「いじめはなくならない」「テロの実行犯はほとんどが若い男性」といったものから、「日本の政治家と官僚の国際感覚は大丈夫か」「『働き方国会』が紛糾する"恥ずかしい"理由」「過労死自殺がなくならない単純な理由」といった日本社会の仕組みに関するものまで多種多様です。

本書を通読すると、基本的に不愉快なファクトがでてくる背景は下記2つのパターンに分かれることに気づくと思います。

  1. 私たちの社会が世界的な流れである「知識社会化・リベラル化・グローバル化」にうまく対応できていない
  2. 私たちが今持っている価値観、文化、社会制度、行動様式が、人間が進化の過程で獲得してきた(無意識の)感情と整合しない

「テロリストはほとんどが若い男性」や日本の労働環境をはじめとする社会の歪さは前者に起因するところが多く、「実子に比べ血の繋がっていない子どもを虐待しがち」や「いじめはなくならない」といったものは後者に分類されるものになります。

本書を読んでいてもっとも不愉快になるのは、このようなファクトがわかったとしても真っ向からの問題解決は(少なくとも早期には)期待できそうになく、不愉快なことがある前提でできるだけそれを避けるようにするしかないという結論になる点にほかなりません。結局のところ、「世の中にはこういう理由で不愉快な出来事が多いけれど、完全解決は期待できないのでいやいや付き合うか避けていくしかない。なぜこれが起こるのか理由がわかっているだけでもちょっとの気休めにはなるかもしれない」ということになるのかなあと思い、これこそがもっとも目を背けたい事実だなと感じています。

本書では「そんなこといったら差別になるのでは?」というほど大胆なトピックが多々扱われていますが、その内容の裏付けとなる研究や参考書籍が紹介されているので、興味のある人は裏取りをできるようになっています。「『差別』とは証拠によって合理的な説明ができないこと」という著者の姿勢のあらわれですが、本書からの一番重要な学びはこれかもしれないと思うほど大事なことだと思います。

part5はちょっと毛色が変わります。ここで取り上げられる内容は意外ではあっても不愉快ではなく、今の日本社会におけるみんなのイデオロギー的立ち位置を知れる非常に面白いパートになっています。ここではまず日本で右傾化が進んでいるのかどうか(特に若者)の調査結果を取り上げていますが、そこで明らかになったのは日本は決して右傾化しているわけではなく、むしろリベラルかが進んでいるという結果でした。今の若者を対象にした調査では、自民党を「リベラル」、共産党を「保守」とみなしているという事実も紹介されます。これは常識のように考えられていた(少なくとも私以上の世代では)「自民=保守」「共産=革新」という見方からねじれており、非常に興味深い点です。

また、膨大なヤフコメを分析し、「ネット世論」を形成しているのはどのような人たちかを調べた調査の結果も紹介されています。結果も当然のこと、エスノグラフィー(フィールドワーク)の手法を用いてウェブ空間の調査を行ったという内容そのものも十分面白く、一読の価値があります。

思想、言論の状況に関してはなんとなくの印象論で語られることが多かったのですが、このような調査によりデータをもとに正確な状況を把握できるようになりました。当然時とともに状況は変わってくるでしょうから、定期的にこういう調査を実施していくことが求められるようになっていくのではと感じました。

 

「事実 vs 本能」に収録されている内容は、「もっと言ってはいけない」「朝日ぎらい」でとりあげられたものとかぶるところがあります。それぞれ別々の作品で取り上げられたものを「本能によって見方を歪められた事実」というテーマでまとめなおしたのが本書という印象ですが、その分網羅的になっていると思います。

と、私はこのように「事実 vs 本能」を読みましたが、ここで紹介した内容が本当に正しいのかどうかはぜひご自分で本書を手にとって確認してみてください。「日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない」ですし、残念ながら私がその3分の1に含まれていない保証はないのですから。

 

朝日ぎらいの紹介はこちら

sat-1.hateblo.jp

 

本書の関連作品はこちら

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

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もっと言ってはいけない (新潮新書)

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「文豪たちの悪口本」文章のプロフェッショナルの悪口、その魅力

文豪たちの悪口本

文豪たちの悪口本

 

いやあなかなか面白かった。

本書の内容はそのままずばりタイトルの通りなのですが、日本文学史に燦然と名を残す文豪達の「悪口」を紹介しています。「悪口」といっても悪口雑言の類のものから雑誌や書簡での非難、物言いといったレベルのものも収録されており、単純に面白いだけでなく興味深いといった感想を持てるのが本書に魅力になっていると思います。

本書で取り上げられている主な作家をざっとあげると、太宰治中原中也坂口安吾菊池寛夏目漱石谷崎潤一郎志賀直哉....とそうそうたるメンバー。彼らの文学的な実績は誰もが知るとおりですが、ではその文豪による「悪口」はどのようなものか。ここがなかなか差が出るところであって、やはり大作家はちがうと思わせるような表現による罵倒から、作家であっても我々とあまり変わらんなと思わせるくらいダイレクト(?)な表現まで多種多様です。

太宰はある時、バスに乗った際に有名な作家を見かけて「実にいやしいねえ。自分がよっぽど有名人だと思っているんだね」と吐き捨てる。またある時は自分が書いた肖像画のモデルから似てないと抗議を受けたのに対し「お前は、きっと先が長くないに違いない」と暴言をはく。ちなみにその肖像画はモデル本人とは似ても似つかなかったといいます。

夏目漱石正岡子規に対して「穢い奴」呼ばわり。友人である子規が冬にトイレに行く時火鉢を抱えていって、戻ったら同じ火鉢ですき焼きを食べていたということがあったことからの発言なので、これはわからなくもない。

永井荷風菊池寛を蛇蝎のごとく嫌っており、自らの日記『断腸亭日乗』にはやれ「菊池は性質野卑奸ケツ*、交を訂すべき人物にあらず」(*ケツはけものへんに橘の右側)だの「文芸商人」だの「田舎者」だとこき下ろしています。菊池寛の噂を耳にすれば日記に悪口を書くというこの行為は15年以上に渡って続いていたことがわかるから相当の執念です。だんだん世相の悪化の原因も菊池寛にあるなどど言い始めており、その憎しみの大きさには閉口するばかりです。しかもここまで嫌うようになった理由がよくわからないというおそろしさ....

志賀直哉織田作之助について放った「きたならしい」という簡潔をきわめた一言にはある種の美しささえも感じるところがあります。

ただ、ナンバーワンはやはり中原中也でしょう。

「 汚れっちまった悲しみに」で有名な詩人、中原中也は常識の破壊を掲げる「ダダイズム」に傾倒しており、言動が規格外であったことで有名です。そんな彼の悪口について、本書では下記のものが紹介されています。

何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。

初対面の太宰治に向かって

やいヘゲモニー

こういって坂口安吾に殴りかかったという。ヘゲモニーとは権力者の意。

殺すぞ

大勢で飲んでいた時、こういって中村光夫の頭をビール瓶で殴ったという。「卑怯だぞ」と非難されると、「俺は悲しい」と泣き叫んだという。狂っている。

悪口だけではなく、実際に手をあげているところが他の文豪と一線を画すところでしょう。その一線は人間として本来越えたらまずい一線である気がしますが。

哀れ太宰は尊敬していた中也に初対面から罵倒され、その後も度々口撃を受けたことに傷ついたのか「蛞蝓(なめくじ)みたいにてらてらした奴で、とてもつきあえた代物ではない」とくさしています。これはしょうがない。太宰も人のことは言えないだろという感じもしますが。

当然ながら、悪口はひとりでは生まれず、相手がいて始めて成立するものとなります。この悪口本を通して、同時代に活躍した作家と彼らの関係をうかがい知ることができるという点も本書の価値であると思います。

使用されている漢字など表記の一部がオリジナルから変更されていますが、当時の表現がほとんどそのまま掲載されているのでやや読みにくいきらいもありますが、その分文体の美しさはそのままです。

知られざる文豪の人間的魅力をこの一冊から知ることができることは間違いありません。

(雑記・ネタバレなし) 天気の子を観てきたよ (もう一回観に行く)

久々の更新です。

今話題の新海誠監督最新作・「天気の子」を観てきました。

www.youtube.com

君の名は。」が社会現象的大ヒットだったこともあり、本作への期待は大きかったと思いますが実際封切り後の興行収入は「君の名は。」のオープニング記録と比べて約30%上回る上々のスタートとなったそうです!

news.goo.ne.jp

個人的な感想としては、期待を裏切らない面白さだったと思います。新海誠作品で絶賛される風景描写の美しさは今作でも健在でした。作中では雨のシーンが非常に多く、全体的に灰色というか暗めのシーンが多い印象なのですが、そのなかでも雨が地面に叩きつけられる描写の美しさは思わず息を飲むレベルでした。

また、雨雲から晴れ間がさしてくるシーンや数少ない晴れのシーンにおける鮮やかな空や街並みの美しさはさすがの一言です。映画の登場人物が晴れの時間を喜んでいるのと同様にこちらの気分も上がっていくような爽やかさを感じました。

離島から東京へ家出してきた少年・森嶋帆高が自称100%の晴れ女・天野陽菜と出会う。その出会いは、世界の形を変えてしまうほどのインパクトがあった....。という王道のボーイ・ミーツ・ガールストーリー。前作と同じくらいすんなりと気持ちよく楽しめる内容になっていたと思います。むしろ展開的には「君の名は。」よりも先が読みやすい内容になっているかもしれません。その分、ラストは結構意外な形で終わります。個人的にはこういう結末は嫌いではないのですが、前作よりは好みが分かれそうだなと思いました。

登場人物もどれも嫌味なところがなく好感を持てるようなキャラクターばかりだったので観ていてストレスなく物語に没入できました。前作のキャラクターを登場させるというサービスもファンとしては嬉しいところです!エンドロール見て「えっ!?このキャラどこに出てた?」となるひとも多いのではないでしょうか。これもリピートさせる工夫なのでしょうか笑 結構キャラクターについて「遊び」要素があるなと感じさせることが多かったです。「カナ」と「アヤネ」という小学生のキャラクターについては「結構雑だな笑」と思ってしまいました。ただ決して悪い印象はありません笑

全体的に難しく考えることなく気持ちよく観れる映画ですが、ところどころに「あれ、これはどういうことだろう?」「これには何か意味があるのかな?」といった謎が埋め込まれているように感じました。というよりは私がちゃんと読み取れてないだけかもしれないのですが、「ここがわかるともっとこの話を楽しめそうだ」という点がいくつもあったので、少なくとももう一回は観にいこうと思います。

小説版も忘れずに目を通さないと。 しばらくはこの作品の余韻で楽しめそうだなあ。

小説 天気の子 (角川文庫)

小説 天気の子 (角川文庫)

 

それにしても新海作品にはやたらと新宿が出てくるイメージがあるのですが、監督はそんなに新宿が好きなんでしょうか...。

最近新日本プロレスの選手のCM起用が増えてきて嬉しい

f:id:SAT4383:20190519221303p:plainもうタイトルが全てなのですが。

私の好きな新日本プロレスのレスラーを起用したプロモーションを目にする機会が最近多くなってきて嬉しいなぁと思っている今日この頃です。

 

花王ビオレ デオドラントz棚橋弘至

 

 

サントリー伊右衛門ジャスミン飯伏幸太

DDT上野勇希選手とアンドレ・ザ・ジャイアントパンダ選手との共演です。

 

そしてどん兵衛釜たま風うどんに中邑真輔

前の2つはwebムービーなのに対し中村選手はTV CMに登場です。さすがWWEで活躍する世界のスターは違う!

 

過去にはMATCHのCMに天龍源一郎がでていたり、BOSSの25周年記念に永田裕志とコラボしたりとありましたが、やはりプロレスファンとしてはCMでも好きな選手が見られると嬉しいものです。

 

残念ながらBOSS x 永田裕志のコラボムービーは公開終了となってしまっているようですが.....めちゃくちゃかっこよかったのに残念。

TV CMを見て何か商品を好きになることってこれまでなかったのですが、この歳になって初めてCMのイメージキャラクターで商品を選ぶということをしています。

伊右衛門ジャスミンは飯伏のムービーが公開されてから毎日2本買い続けているので、トータルで飲んだ本数は5ダースを超えたと思います。すっきりとした爽やかなテイストで、朝の通勤時に飲んで気分をリフレッシュさせつつ会社へ向かうということが完全に習慣化しました。

どん兵衛についても、5月13日にCMが公開されてからは毎晩釜たま風うどんを食べる日々です。麺に絡む濃厚な卵ソースが絶品です。まさに禁断の美味しさ。

さすがにビオレデオドラントは毎日買うというわけにはいきませんが....

 

新日本プロレスの選手が今後さらにCMに起用されるようになるように、購買活動を通じて応援しようと思います!食事が偏っても気にしない! 

サントリー 伊右衛門 ジャスミン 525ml×3本
 
日清 どん兵衛 釜たま風うどん 101g×12個

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メンズビオレデオドラントZ ロールオン 無香性 [医薬部外品]

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「実験思考 世の中、すべては実験」このユニークな販売の仕組み、その本当の狙いは?

最後に記事を書いてからだいぶ時間が空いてしまいました。

元号も変わったし、そろそろ書くか」という気にすらならず、下手したらこのままフェードアウトかとも思っていたのですが、この本を読んで久々に手を動かそうという気になりました。

実験思考 世の中、すべては実験 (NewsPicks Book)

実験思考 世の中、すべては実験 (NewsPicks Book)

 

2017年に「持ち物が一瞬にしてキャッシュにかわるアプリ」として登場し非常に大きな話題になった「CASH」。一晩で3.6億円分のアイテムがキャッシュに変わり、一旦サービスを停止。その後すぐにDMMに買収されたことでも話題になりましたが、そのサービスを作ったのが本書の作者である光本勇介さんです。

本人曰くよく狂ってるといわれるほど型破りなアイデアを次々と生み出している彼らしく、本書の販売方法についてもこれまでになかった仕組みになっています。

この本については、読者が自分で支払う金額を決められるのです。厳密に言えば紙の書籍であれば印刷代分の390円、kindleであればその印刷代もかからないので無料で読むことができます。

本を読んで満足した人は特設サイトから自分が払ってもいいと思う金額を支払う、という仕組みになっています。

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価格自由|書籍「実験思考」特設サイト

 

2019年5月14日現在において、特設サイト経由でお金を支払った人は1,009人。支払金額は¥46,486,200です。ひとりあたり¥46,000以上を支払っている計算になります。このタイプのビジネス書の値段は¥1,500だそうですので、この本に対して読者ははるかに多額の支払をしていることになっています。

このユニークな仕組みが注目され、非常に話題になっている一冊です。いわく、「本の価格を読者の自由に委ねてみたら、定価で売った場合より儲かるのか?」という実験をしているのだそうです。

 

ただ、本当にそれだけが目的なのでしょうか。

 

これは本の販売というよりは、本というメディアを使ったクラウドファンディングだと考えるのが妥当だというのが私の素直な印象です。

CAMPFIREMAKUAKEといったクラウドファンディングのプラットフォームサービスにはイベントの開催や新プロダクトの開発など数多くのプロジェクトが紹介されており、ユーザーは気に入ったプロジェクトにお金を払うことで支援することができます。

一般的にはプロジェクトの支援額については¥1000、¥5000、¥10,000などいくつかの金額オプションが設定されており、ユーザーは好きな金額を選ぶことができます。

そして、その支援金額に応じて受け取れるリターンが変わってくるという仕組みです。一般的に多額の支援者には大きなリターンが設定されています。

「実験思考」の特設サイトを見ると0円から100万円までの支払オプションがあり、1500円から上には様々な特典がついています。本に価値を感じる以上に特典に魅力を感じてお金を払っている人も多くいることでしょう。実際に本を購入せずとも支払いができることから、単純な代金支払のためのチャネルでないことは明らかだと思います。

 

通常クラウドファンディングのプロジェクトは、支援者を集めるためにプロジェクトの紹介ページで詳しい内容や目指すべき目標、プロジェクトを始めた理由などを説明します。ここでいかにユーザーの興味や共感を引き出すかが資金集めを成功させるためのカギとなるのですが、「実験思考」はこれに本一冊まるまる使用しているのだと私は感じました。

光本勇介という人がどういう人なのか、これまでにどういうことをしてきたのか、今どのようなことを考えていてこれから何をしていきたいのかが約200ページにも渡って紹介されるわけです。一般的なクラウドファンディングのプロジェクト説明ページの量と比べれば、はるかに深く理解できますし、感じるところも多いことでしょう。

なぜわざわざ本でという疑問の答えとしては、多くの人に知ってもらい手にとってもらう機会を増やすためだと考えられます。以前に比べればクラウドファンディングが人口に膾炙してきたとはいえ、書店に並ぶ本と比べたら人の目に止まる機会は比べものにならないでしょう。

手にとってもらいやすくするためという観点で考えれば、400円(kindle版は無料)といった低価格の設定もそのためなのかもしれません。こんなに安いなら(タダなら)試しに読んでみようという方は少なくないでしょう。少しでも多くの人に読んでもらいたいというのであれば、本というメディア+低価格という組み合わせは効果的なのかもしれません。これも実験中なのかもしれませんが。

 

最後に、この売り方がクラウドファンディングのプロジェクトだったとしたら何が目的なのか。本当に「普通に書籍を販売するよりも価格の決定権を読者に委ねたら儲かるかを確かめる」だけでしょうか?

私は、この取り組みを通じて光本勇介のファン、共感者、同志を集めたコミュニティを作ろうという意図があるのではないかと感じてます。ゆくゆくはホリエモン西野亮廣でおなじみの月額制オンラインサロンを立ち上げるという計画があるとして、現段階でどのくらい入会してくれそうなひとがいるかのリサーチをしているのではないかと。

例えば今回1万円以上支払ってくれた人をファンと定義し、将来のサロンへの見込み会員がどれくらいいるかを確認したり、30万円以上支払ってくれた方については将来のビジネスパートナー候補とみなしてたり。本書を読む限り光本さんには面白いビジネスのアイデアを豊富にお持ちなので、それを一緒に実現するための同士を探すためにこの仕組みを利用しているのではなどと勝手に思っています。

ホリエモンのサロンからいろいろな事業やイベントが生まれているのと同様のことが近い将来「光本サロン」から生まれてくるかもしれませんね。CASHがDMMに買収されたときに、様々な事業を手広く扱うというDMMイズムが受け継がれているかもしれません。

 

それにしてもこんな売り方を実現できたのは幻冬舎があってこそでしょう。世の中にいる天才がそのポテンシャルを完全に発揮できるよう柔軟な対応ができるのは、本当にこの出版社をおいて他にないと思います。あらためてこの会社の力を感じました。

 

と、完全に本の内容とは関係のない妄想的な内容になってしまいましたが、本書を読めば光本勇介という人であればこれくらいのことを考えてもおかしくないということはわかるでしょう。これがまだまだ序の口で、今後は想像のはるか上をいく面白いことをどんどん生み出してくれるのではと期待してしまいます。

こんなに面白いことを考えられるこの人はいったいなんなのか。その答えは本書を読むことで明らかになるかもしれません。

大迫力!「等身大動物図鑑」機能リリース - PopIn Aladdin アップデート

1月31日、PopIn Aladdinのアップデートで新しいコンテンツが追加されました。

等身大動物図鑑。

もともとPopIn Aladdinは子どもの知育系コンテンツに力をいれており、「世界の絵本」「なんでなの」「学習ポスター」といった機能があります。

今回の「等身大動物図鑑」もその流れで登場したと考えていいかと思いますが、結構大人にとっても面白い内容になっています。

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ホーム画面で等身大動物図鑑を選択すると...

 

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はじめはこのような画面に。

投影されているリモコンが実際のサイズ大になるまでサイズを調整します。

完了ボタンを押すとホーム画面にうつります。現在全10種類の動物を見ることができます。

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ここで例えばライオンを選択してみるとこんな感じになります。

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等身大だと、大画面を楽しめるPopIn Aladdinといえどもはみ出てしまいますね。

実際の動物がいかに大きいかが非常によくわかるようになっています。

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ちなみにここでリモコンの「決定ボタン」を押すとメニューが表示されます。

「えいぞう」を選ぶとその動物のショートムービーが、「せつめい」を選ぶと詳細な説明ページを見ることができます。

<映像の一部>

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<説明ページ> 

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動物の全身像を写したい!という場合には「サイズ調整」を選んで調整しましょう。

比較的小さいであろうペンギンでさえ、枠におさまりきりません。

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この等身大動物図鑑はPopIn Aladdinの特長である大画面投影を十分に活かしたコンテンツだと思います。

「ライオンってこんなに大きいんだねー!」「今度動物園に本物を見に行ってみようか!」というような会話がこどもとの間で生まれそうですよね。

子どもの知的好奇心を刺激するいい内容だと思いました。

ちなみにPopIn Aladdinのアプリ内で今後リリース予定のアプリが紹介されています。

「チャイルドモードβ版」、「MOON LIGHT」、「そだてる植物(仮)」というアプリが今後一ヶ月に一回くらいのペースでリリースされるそうです。

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進化を続けるPopIn Aladdinの今後に、引き続き注目していきたいと思います!

 

職場の人間関係における処方箋!「天才を殺す凡人」

天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ

天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ

 

かつて「注意欠如・多動性障害(ADHD)」が正式に発達障害のなかの一つと位置付けられたとき、それによって精神的に楽になったという人は少なくなかったといいます。今までは何かおかしいんじゃないかと思っていながらもなかなかその正体がつかめず、どのように対処したらよいかもわからないといった不安な状況が、ADHDという定義によって明確になったため、ある程度どう対応していけばよいかわかったからだと。

同様に、仕事をしていく中でなかなか成果をだせず悩んでいる人、どうにかしたいと思いながらもどうしたらいいかわからずもがいている人にとって、本書は大きな助けになるかもしれません。

本書の軸になっているのは「才能」です。仕事に必要な才能を天才、秀才、凡人の3つのタイプに分類し、それぞれの特徴、武器、評価の軸について定義します。この3つの才能を持っている人たちによって組織は運営されていきます。

天才は「創造性」、秀才は「再現性」、凡人は「共感性」を物事の評価の軸とし、ビジネスの中の「作って」「拡大して」「お金にする」という役割をそれぞれ担います。ここで重要なのは天才の役割が他の2つよりも優れているという訳ではなく、それぞれに違った役割があるということです。自分はこの中ではどの才能をもっているか(どれに一番近いか)を認識し、どういう役割を果たすともっとも才能が生かせるのかを考えるとよいでしょう。自分自身の特性を把握し、どこで活躍できるかを見極める。これが本書から学べることその1です。

個人について把握したところで、会社をはじめとする組織では他者との連携が必須になります。そこで次は、組織の中ではこれらの才能はどのように機能しているかの分析にはいります。

実は、天才、秀才、凡人の3つの才能の間では、それぞれの評価軸が異なることによってコミュニケーションが断絶してしまいがちという問題があります。これは組織からイノベーションが生まれにくい原因にもなっていますが、とはいえこれでは組織はどれもうまく機能しないことになります。

現実がそうでないのは、話の通じない天才、秀才、凡人の間のコミュニケーションを受け持てるパーソナリティを持つ人が組織に存在するためです。そういうパーソナリティを本書では「アンバサダー」と定義しており、世界が崩壊していないのはこの人たちのおかげとさえ言い切っています。当然二つの領域にまたがる才能を持つこれらの人々が果たす役割は組織にとって極めて大きいと言えるでしょう。いわゆる優秀な人材はここの領域に属する人だと思います(天才と秀才の間を繋ぐのが「エリートスーパーマン」、秀才と凡人を繋ぐのが「最強の実行者」、天才と凡人の間を繋ぐ「病める天才」の3タイプがあります。)。

組織の中で異なる才能を持った人たちを動かして仕事をする際にはこれらのアンバサダーの力を借りるべし、というのが本書のアドバイスです。その際アンバサダーを巻き込むための方法も紹介されており、なんて親切な本なんだと感心しました(笑)。

また、個人的にここで思ったのは、秀才と凡人の間の「最強の実行者」を目指すのが多くの人にとって自分の価値を高めることにつながるのではないかということです。

秀才であれば共感性を、凡人であれば論理性を高めることで「最強の実行者」に近づくことができますが、創造性に比べてこの2つは訓練での習得がしやすいのかなと思います。特に論理性についてはクリティカルシンキングなどの方法論が成熟しているので、むしろ凡人側にチャンスがあるのかなとさえ感じます。

このような個人の才能、才能同士の関係を深掘った上で、最後にはその才能をフルに活かすためのヒントとなる「武器」について紹介しています。ここでいう武器とは「自分の才能をもっとも表現しやすい『方法』」と定義しており、例えば「創造性」とはアートやエンジニアリング、「再現性」とはルールや数字、「共感性」とはSNSや写真、マーケティングなどが相性が良い武器として挙げられています。

(1) 自らの才能を理解し、(2) 組織における才能同士の作用を理解した上で、(3) もっとも自分が才能を活かせるような方法だったり相手をうごせるような表現ができれば、少なくとも何もわからないままただもがくような状況と比べて仕事をするうえでのストレスははるかに軽くなるでしょう。

職場における個人のパフォーマンスの問題について、ここまで深く洞察し言語化され体系化されたのは本書が初めてなのではないでしょうか。少なくとも今までは「なんとなく合わない」で済ましていた違和感に対して明確に姿を与えたという点で本書には他にはない価値があると思います。

最後に、本書は「凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から「天才」を守るか?」というブログ記事が下敷きとなっています。

yuiga-k.hatenablog.com

内容的にはこの記事をベースに、実際のケースに当てはめるとどうなるかをわかりやすく表現するために本書では小説のようなストーリー形式を採用しています。これにより本書の主張する内容がより納得感のある形で理解できるようになっており、また登場人物への感情移入により記憶に残る形になっています。

物語としても面白いので、ぜひ手にとって読んでみてください。読み終わった後には謎がとけたかのような、何かすっきりした気持ちになっていることでしょう。